生まれつきの障がいをもつシングルマザー・恋愛から離婚までの体験談

生まれつき「骨形成不全症(こつけいせいふぜんしょう)」という病気を持っている私は、骨折しやすいということもあり、歩くことができないため、幼い頃から車椅子で生活しています。
2歳くらいで障がい者手帳の申請をし、一種一級と認定されました。

ウィキペディア:骨形成不全症とは

そんな私は、現在1児の母でありシングルマザーです

私の場合、他のシングルマザーの方とは身体の状態や色々な状況もかなり違い、ある意味特殊なのでこの記事が読んで下さる方のお役に立てるのかは分かりませんが、同じような立場のシングルマザーに何か響いてくれたらいいなと思います




恋愛を諦めていた10代

幼少期から何となく、結婚できないだろうなと漠然と思っていた私。

小学生、中学生、高校生と成長し進学していくうちに、好きな人はできても告白なんてすることもなく、「こんな私を好きになってくれる人はいないだろう」「付き合うなんて無理だろう」と思っていました。

だからずっと、恋愛をしている同じ年頃の人たちを横目に、恋愛を諦めている自分がいました。

SNSで出会った夫との恋愛、そして妊娠

結婚
出典:pexels.com
夫との出会いは、当時流行っていたSNSサイトでした。
夫の方からメッセージをくれたので、何度かやり取りしているうちに会うことになったのですが、私は九州地区に住んでおり、当時夫は東京に住んでいました。

しかし、お互いの地元(九州地区)はそんなに遠くはなく、車で20分程の距離。
夫が東京から実家に帰郷した時に初めて会い、そこからお付き合いが始まりました。
当然ながら、付き合い始めた当初は遠距離恋愛でした。

結婚を諦めていたけれど

20代後半に初めて彼氏ができ、異性とお付き合いする様になった私。
そして、1年半経った頃に妊娠していることが分かりました。

幼少期、結婚を諦めていた私にとって、自分のことながらすごく驚きの出来事でした。
まさか私に彼氏ができて、結婚も妊娠もできるなんて!!と思いました。

お互いの両親に妊娠の事実を伝え、結婚の了承を得て婚姻届を提出し、私達は夫婦となりました。
この時まではは嬉しい出来事の連続で、「よい家庭を築き必ず幸せになろう!」と心で誓いました。

離婚まで無職だった夫

付き合っていた当初、SE(システムエンジニア)として働いていた夫は、鬱病を持っていました。

しかし、今思えば鬱病だったのか、アルコール依存症だったのか不明な部分がありますが、アルコール依存症だと言える程、毎日大量のビールを飲み、あまりに飲み過ぎていたのでビールを隠した時は、ものすごい剣幕で怒られた事があります。

そのくらいビールを飲んでいたのです。
その時はアルコール依存症の人は、お酒を隠すだけでこんなにも人格が変わるのだなと実感し、本当に怖い思いをしました。

まさかの離職

付き合いはじめて約1ヵ月後、鬱病が悪化し会社から辞めるよう言われたそうで、仕事を辞めて地元に帰って来ることになりました。

ここまで読んでいただくと、何となく察しはつくと思うのですが、この離職から離婚するまで、彼から夫となったその人は無職だったのです。

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信じる気持ちとは裏腹に

今考えると末恐ろしいのですが、当時の私は恋愛初心者。
そして、「恋は盲目」状態となっていました。
満月
出典:girlydrop.com

もちろん、考えが甘かったのも事実です。
いつか働いてくれるだろうと信じきっていたその願望は、離婚するまで叶うことはありませんでした。
それどころか、夫は「家でフリーのSEとして仕事をもらっているから。」と言い続けていました。

夫が自分を守るための嘘を

私はその言葉を信じ切っていました。
何度か「おかしいな」と思ったこともありましたが、それでも信じていたのです。
あまりにもおかしい時は問いただしていましたが、夫は話をごまかし、自分を守るために嘘をついていました。

冷静になって考えると嘘だと分かることも、当時の私は信じたいという気持ちの方が強かったのだと思います。
分かっていても、気付かないフリをしていたのかもしれません。
そうすることで、今の生活が続けられると思っていたのだと思います。

実態のない経済力と残っていた事実

結婚してから私たちは、新居のアパートに住んでいました。
2人での生活も、何とかやっていました。
炊事、洗濯、掃除もお互いに分担していました。

詳しくは書けませんが、経済的なことを考えてみると、夫は自分の親からお金を振り込んでもらっていたのだろうと思います。

「通帳を見せてほしい」と何度も言っていましたが、一度も見せてもらえることはなく「お金はキャッシュカードで下しているから、通帳はどこにあるのか分からない」と言われていました。

通帳の残高が減っていた事実

そんな中、私は出産に向けて通常よりも早い時期から入院することとなり、出産を迎えました。
入院期間は約1カ月半でした。

私が入院中の夫の生活はどうだったのか分かりません。
どうやって生活していたのかも。
ただ、退院後、入院中に預けていた私の通帳の残高がほとんど残っていなかったという事実だけがありました。

その通帳を見た時は、あまりにもショックで、預けた後悔と悔しさ、悲しみなど、何とも言えない感情が私の中に沸き上がってきたのを覚えています。

出産後に待っていた想定外のこと

落ち葉
出典:girlydrop.com
出産後私は無事に退院したのですが、子どもは小さく生まれたために一緒に退院することはできず、2カ月半の間NICUに入院していました。

退院後約2週間はアパートに戻り、夫と私の2人で生活していました。
この2週間、夫は家事を全て一人で行ってくれ、私は入院している子どものために約5時間おきに母乳を搾りそれを冷凍して、週2~3回面会する時に持って行くという生活をしていました。

この時夫が頑張ってくれていたことが引き金になって、まさか暴力的な状態になるとは思ってもいませんでした。

精神的過労で夫が入院

ある日私はキッチンの掃除をしていたのですが、手が届かないところを掃除しようと手を伸ばしたところ車イスから滑り落ちてしまいました。

滑り落ちた拍子に軽く頭を打ったため、念のために救急車で病院へ行くことになりました。
この時の出来事をきっかけに、しばらく2人でうちの実家へお世話になる事になったのです。

両親は当然心配していましたし、「そうする方が親を安心させられるのだろう」という思いもあり、選択した出来事です。

今度は夫が入院

夫はその夜心労からか、倒れてしまいました。
そして、通常でない事を言い始めたり、突然私に向かって手を挙げたりと、どう考えても今までの夫ではない行動でした。
こんな様子は見たことがなかったので、ショックでどうしていいか分からず、ただ戸惑うだけでした。
側にいた母に「落ち着きなさい!」と言われたような記憶があります。

その様子を見て、この2週間夫に精神的にかなりの負担をかけていたのだと、その時初めて気付きました。
夫は医療保護入院という形で、精神科のある少し遠くの病院へ入院する事になりました。

ウィキペディア:医療保護入院とは

そのため、母と共に子どもの面会と夫の面会、私は2か所の病院へと通いました。
夫の病名はこのときハッキリとはわかりませんでした。
後日本人に聞いたところ、このときの数日間の記憶が全くなかったと言っていました。

それほど、家事を一人で背負い、頑張りすぎた末にそうなったのだろうと思います。
それほどまでに負担を掛けていたと思うと、すぐ側にいたのに気付けなかった自分自身にショックを受けたのを覚えています。

夫と子どもの退院後

子どもよりも夫が先に病院から退院し、その後に子どもが退院したのですが、以降3人で私たちのアパートへ戻るにはかなりの不安がありました。

夫の症状が完治しているかが分からなかったので、「3人の時に以前と同じように暴力的な状態になったらどうしよう」という気持ちの方が大きくなり、何かあっても私だけでは子どもを守ることができないと思いました。

そこでお互いの家族を含めて相談した結果、生活が落ち着くまで私の実家にお世話になることにしました。
夫と暮らしていたアパートは、お義父さんのご厚意でそのままにしておくことになりました。

大喧嘩の末、夫が出て行った

 
子どもが退院してからは、私と夫、そして実家の家族みんなで子育てしていました。
しかし、ある日私たちは大喧嘩をしてしまい、夫はアパートへ一人帰って行きました。

出て行ったもののすぐ戻ってくるだろうと思っていたのですが、離婚まで夫が戻ってくることはなく、そのまま別居となりました。

子どもと2人、実家にお世話になっていた私達親子。
戻って来そうにない夫と連絡を取ってはいましたが、夫が一人で子どもに会いに来ることはなく、会いに来てもお義父さんと一緒にしか来ませんでした。
きっと一人では来る事ができなかったのでしょう。
私はそのこと自体が悲しかった。
せめてもう少し会いに来てくれれば、私と子どもへの想いが伝わるのにと思っていました。

離婚を決意する大きな引き金

そんな生活をしている中、ある事件が起きました。
私たちが借りていたアパートの大家(大手不動産屋)さんから、「家賃が2ヵ月分振り込まれていません。」との電話がありました。

アパートを借りた時無職だった夫に代わり、障害基礎年金のある私が契約者となっていたため、私に電話がかかってきたのです。

家賃の滞納

夫は家でフリーの仕事をしていると信じていた私は、当然ながら家賃も振り込んでいると思っていました。
ですから、家賃の支払い催促の電話が掛かってきた時は訳が分からず、混乱したのを覚えています。

その後、両家が集まって話し合い、「2度と家賃の滞納などはしない」約束をしました。
しかしながら、その約束は守られずに、その後もお義父さんが家賃を支払ってくれていたので、申し訳ないと思い契約の1年後に引き払いました。

ようやく決意できた離婚

私はこの出来事をきっかけに、「このままこの人と結婚していても経済的に生活していく、ましてや子どもを育てていくのは無理だ。」と思うようになりました。
海を眺める女性
出典:girlydrop.com
子どもの事を考えると、父親がいた方がいいのは分かっていましたし、私もそれが子どもにとってもいい事だと自分に言い聞かせ、なかなか離婚に踏み切れませんでした。
もちろん、私自身が働ける体なら即離婚を決意できていたでしょう。
そういった面でも、離婚にはすぐに踏み切れませんでした。

将来的なことを考えると、このまま結婚していても精神的に良くないと思う反面、子どもには父親が必要だと思うと気持ちもありかなり揺れていました。
日々、私自身の中でそれが繰り返され、生まれた子どもを見ながらずっと悩み続けていました。

子どもを保育園へ入園させることに

子育てしていく中で、子どもは私や家族と日中生活するよりも保育園に通わせた方が、社会性も身に付き、友達もできるのではないかと考えるようになりました。
そこで、家族と話し合い、子どもを保育園に入園させることに決めました。

実家のある自治体と、私が住民票を置いている自治体とは違っており、今のままだと希望の申請できないことや、提出しなければならない書類も色々とあったので、このことをきっかけにようやく離婚を決意できました。
この時子どもの年齢は1歳1ヶ月でした。

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障がいを持つシングルマザーの経済面と働くことの現状

前以て書きますが、これは私の場合ということを踏まえた上での話です。
経済的な事を話せば、私は今、自身の障害基礎年金+子の加算と、家族のサポートで生活しています。

児童扶養手当は障害基礎年金を受給しているので、今の日本の法律だと受給対象外となります。
(ひとり親家庭医療証*は対象外ではありません)
もちろん、今この状態に頼りきってはいけないと十分理解しています。

仕事に就けるのは環境が大いに関係する

働くことがベストなのも分かっていますが、都会に住んでいるわけではないので、障がいのある人にとって就職はかなり厳しい状況にあり、設備や企業側の理解など様々な面で働くことが難しいのが現状です。

今は縁あって、在宅でライティングなどの仕事ができています。
仕事について、働くという事についてはまた別の話になるので、ここで詳しく書くのは控えさせて頂きます。

ひとり親家庭医療証*=自治体によって呼び名が違います。

子どもと2人での生活を望んでいるけれど

私は今も子どもと一緒に実家で暮らしています。
本当なら子どもと2人で暮らしたいのですが、色々な面を考えても現状ではまだ厳しく、2人で住むにはもう少し待った方がいいのかなと思っています。

実家に暮らしていると、良い面も悪い面もありますが、一緒に子育てしてくれている家族がいるので助かっている面が多いです。これはもう感謝しかありません。

離婚は結婚よりもパワーが必要

離婚するにはかなりのパワーが必要となります。
そして、結婚することに必要な覚悟は、離婚を決意する時は倍以上必要です。決意するまでには、私のように時間がかかることもあるでしょう。
瓶
出典:girlydrop.com
離婚をしてから現在、約7年経ちました。
離婚したことに後悔はありませんが、色々な面で未だにしこりとして残っているものはあり、自分の中で消化できていなこともあります。

消化するには、もう少し時間がかかりそうです。

離婚直後は話せないことも

離婚して数年経った今思う事は、離婚の理由は人それぞれだから、あまり深く聞かず本人から理由を話さない限り余計な詮索はせず、そっと寄り添って欲しい。

本人が話したくなった時に話すと思うので、それまで見守って欲しいということです。

シングルマザーになって子育てするということは、自分一人だけでは厳しいものがある。
精神的な負担は大きく、周りの目も気になってしまいます。

頼らないことを美徳とするのは間違い!

私自身障がいがあるから言うのではなく、他のシングルマザーの方を見ていて思うこともあるからです。
私は障がいがあるので一人で子育てすることは困難で、家族を頼るしかなく、他のシングルマザーの方々よりも多くのことを頼らなければなりません。

ですが、障がいなどないシングルマザーであっても、一人で頑張りすぎず親だけでなく、周囲にいる誰かを頼ることが、お母さん自身にとっても子どもにとっても大事なのです。
そうすることで、心にゆとりを持つことができるのです。

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さいごに

日本は先進国ですが、シングルマザー(ひとり親)にとっても、障がいがある人にとってもまだ厳しい状況です

経済的な支援はもちろんですが、それ以上に周囲の理解やサポートが行き届いていません

特に周囲が理解するには、共に活動や生活をしてみて、お互いに歩み寄らなければ、分からない事はたくさんあります。

今回、こうして実体験を書く機会を頂くことで文章にすることができ、離婚した経緯について再認識することで、あの時の状況を冷静に見直すことができました。
また、周囲の友人には話すことができなかったことも、文章にすることができました。

今後私に何ができるか分かりませんが、障がいを持つ私の体験を書き、発信することで、少しでも問題提起ができ、何かの役に立てたらいいなと思います
長い文章を読んで下さって、ありがとうございました。

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