シングルマザーになって7年・今振り返る出産の記録と記憶-Ⅰ

私は以前に「生まれつきの障がいをもつシングルマザー・恋愛から離婚までの体験談」を書いた筆者です。今回は妊娠から出産までについて、お話させていただきます。

現在小学生である1児の母、シングルマザーです。

障がいのある私が妊娠!

生まれつき障がいのあった私は、当時流行っていたSNSでとある男性と知り合い、付き合うようになり、妊娠しました。

幼い頃、自分の人生の中で妊娠はないと思っていた私。そんな私が妊娠した事は、人生の中で、かなり驚きで、本当に本当に嬉しかったのを覚えています。
しかし、それと同じくらい妊娠と出産に対しての不安があったというのも事実でした。

妊娠継続への不安

生まれつきの病気である「骨形成不全症」(こつけいせいふぜんしょう)は、骨が脆く折れやすい病気に加え、体がとても小さいため無事に妊娠を継続できるのか、出産できるのかという不安がありました。

2人の生活がスタート


妊娠が分かってからはバタバタと事が進み、お互いの家族への報告をしました。結婚については、どちらの親からも特に反対されることはなく、一安心。

婚姻届けを提出し、お互いに実家暮らしだったので住居を探し、新居へと移り住むこととなりました。

最初に行った病院

妊娠がわかったとき、私の病気は遺伝する事があるため個人病院には行かず、直接総合病院へ行きました。

主治医の言葉

初めての検診。妊娠しているかハッキリとは分かっていない中、待合室での時間は長く感じました。
不安の中待っていると、名前を呼ばれました。経緯を説明し、その後ベッドに寝てエコーで確認。
医師の第一声は「あ、いた」であり、その医師から「おめでとうございます」とは言ってもらえず、エコー写真さえも貰えなかったのです。

意思表示をしたにも関わらず

最初の検診の時にハッキリと「産みたいです。産むしか考えていません」と伝えていましたが、2回目の検診でリスクを説明され、検診へ行く度に「オススメできる妊娠ではないので、しっかり決めて来て下さい」と言われ、検診の度に悲しい気持ちになりました。

私の場合「中絶するにしても全身麻酔になると説明を受け、手術のリスクはどちらにしても変わらない」とのこと。

セカンドオピニオン

数回目の検診の時、主治医より「産婦人科部長と相談したのですが」と切り出され、セカンドオピニオンのことを聞きました。
その時に、もうこの病院での出産は無理だと感じたので他の周産期センターがある総合病院を紹介してもらいました。

セカンドオピニオンで2つ目の病院へ

数日後、紹介してもらった病院に行き、ドキドキしながら診察を待っていました。

その間、「話がまた、あまりいい方向に進まなかったらどうしよう…」という不安しかなかったのを覚えています。

嬉しかった医師の言葉

診察室に呼ばれ入ると、優しそうな男性医師が座っていました。これまでの経過などを色々と話し、「出産するにしても、中絶にしても手術のリスクは同じと言われましたので、命を無駄にしたくないから、産みたいです!」と言いました。

そして、主治医は後ろにいた女性医師となりました。この時に初めてエコー写真が貰え、「おめでとうございます。」と言ってもらえました。

主治医が「◯◯さんが、産むと決断しているのなら、私達スタッフは協力させていただきます!」と言って下さったその瞬間、心から安心することができました。

再認識したハイリスクな妊娠

入院前の最後の検診では、再度リスクがかなり高いことを説明され、正直とても不安になりました。

しかし、せっかく宿ってくれた小さな命のこと、赤ちゃんを何とか無事に産みたいと思う気持ちの方が強く、こんなに不安な気持ちじゃいけないと思いました。

出産のための入院

当初の検診で主治医から「〇〇さんの状態を考えても、10カ月間妊娠を継続させておくのは難しいので、早めに入院してもらって経過を見ながら、いつ出産するか決めます」と言われていました。

そして妊娠24週の頃、私は出産に備えるため早めに入院しました。

入院後の日常

入院中は毎日、1回40分間赤ちゃんの心拍数を計りました。

入院後数日は検査が続き、身体の隅々まで検査されました。初めてするものも多く、色々とハプニングもありましたが、体に異常はなく安心しました。

手術のシュミレーション

検査以外にも、スムーズに手術が行われるようにシュミレーションをするため、手術室で何十人ものスタッフに囲まれ、手術台にどう寝かせるか、麻酔をどういう風にかけるか等をしました。

きつい思いをした事もありますが、「これも無事に赤ちゃんに会うためだから我慢しなきゃ!」と思うと頑張れました。

主治医との目標設定

入院前から入院中もずっと、主治医と出産への目標を設定していました。というのも主治医から、赤ちゃんはお腹の中でなるべく育てた方がいいと聞いてたからです。
入院後の目標は26週からスタート!それに加えて赤ちゃんが1,000gを超える事でした。

小さく生まれた赤ちゃんでも、1,000gを超えて生まれた場合とそうでない場合は、呼吸器系やその他の臓器の発育が違い、合併症などの確率がより低くなるからとの事でした。

小さな命を感じる幸せ


出産予定日は3月29日でしたが、10カ月は無理だとすると1月か2月上旬かなと思いながら病室で過ごす日々。

初めて胎動を感じたあの日から、母になる希望と不安の中日々お腹の子の成長が嬉しくて仕方ありませんでした。

入院中、週に1度のエコーで赤ちゃんに会えることが何よりの楽しみで、いつか迎える出産の日を楽しみ半分、不安半分の中「いつになるんだろうか」と毎日ベッドの上で思っていました。

他の人よりも短い妊娠期間を存分に味わいました。出産がいつになるのかを心待ちにしながら…。

インフォームドコンセント

入院して約2週間後、帝王切開手術についての様々な説明があり、私と夫、母、姉の4人で聞くことになりました。病院側は、私の帝王切開に関わるスタッフが集まりました。

主な説明の内容は、手術に関して予想される多くの問題。悪性高熱、肺炎、心不全、多量出血など、予測される問題は多く、それだけハイリスクな出産でした。

クリスマスの日のできごと

クリスマスの日。看護師長さんより「先生が手術の日取りを決めたいとおっしゃっているので、今からご家族を呼んでいただけますか?」と言われました…。

少し戸惑いましたが、夫と母に電話をして来てもらいました。

年末年始が重なるからと

主治医の説明によると、麻酔科医と耳鼻科医の意見で、年末年始に入るとスタッフの数が少なくなり「もしも何かあった時に対応できなくなるので、2人の命を救うことは困難だから、28日に手術した方がいいのではないか?」との話がでてきました。

新生児科の意見では赤ちゃんのことを考えると「28日に帝王切開で出すのはまだ早過ぎるので、大学病院が受け入れてくれるなら、そちらに転院した方がよい」との話。
主治医はこの話に納得がいかなかったそうで、こっそりと私に話をしに来て下さったのです。

主治医の判断と配慮

主治医こっそり、大学病院と連絡を取り、私を受け入れてもらえるかを聞いて下さっていました。しかし、この時点ではまだどうなるか分からなかったので「もし受け入れてくれるようなら、『転院したいです』と〇〇さんから言って下さい」と言われました。

主治医は決して見放したわけでもありません。あくまでも、私と赤ちゃんの事を第一に考えてくれてのことでした。

結局、大学病院でも受け入れは無理だと言われたそうで、新生児科の医師が耳鼻科医と麻酔科医を説得して下さりその話はなくなりましたが、決まるまでは不安でいっぱいでした。

しかし、スタッフみなさんのおかげで、何事もなく無事に年末年始を乗り切ることができました。

出産間近!お腹が張り始めた

お腹が張り始めると張り止めの薬を服用。少量から始め、体の様子と薬の量との兼ね合いを医師が慎重に経過観察。錠剤を服用し、状態を見ながら薬を飲んだり止めたりを繰り返しました。

最初は動悸がしたり、気分が悪くなったりと副作用が出たのできつかったですが、無事に出産を迎えるためだと自分に言い聞かせました。

しかしその薬も効果がなくなったので、ついに点滴が始まりました。点滴に変わると副作用が出ないか不安でした。心電図も付けられ、動きにくさを感じながらベッドの上で出産まではこの状態だなーと思っていました。

帝王切開が明日に!

そして、29週2日となった1月中旬の朝。
いつもの心拍数エコーで、すごくお腹が張っていました。それも数分おき。

診察により「帝王切開が明日」となったため、夫と家族に即連絡を入れ、夫はその日病院の許可を頂き病院に泊まることに…。母はもともと病院に来ることになっていたので、来た時に説明をしました。

主治医が点滴の量を増やして様子を見ていると、大きな張りは治まりましたが、張りはまだ続いている状態。内診を行ったところ子宮口は開いてはいないものの、緩くなっている状態だったのです。トータル診断した後、主治医が産婦人科部長と話し合った結果、次の日に帝王切開と決まったのです。

この日のことは今でも鮮明に

点滴を開始した翌日に帝王切開が決まるとは思っていなかったので、あまり心の準備はできず。よく動いていた赤ちゃんの胎動も、あと1日で感じられなくなると思うと、この約7ヶ月半のことを思い出し、あっという間だったなと感慨深くなりました。

明日には生まれる、お腹の中の小さな赤ちゃん。

さいごに

私の小さなお腹で、ここまでよく頑張って育ってくれたなと思うと同時に、母子ともに無事にここまで来ることができたのは、ここの病院が受け入れてくれたからで、主治医を始めスタッフ全員の気持ちが一つになって私たちを迎えてくれていたからなんだろうなと、感謝しつつその想いを実感させていただきました。

命を懸けてでも、授かった命をこの世に誕生させたかった私の想い。「諦めない」気持ちを貫くことができました。

以上が妊娠から出産前までの経緯です。

その後に「離婚」を経験することになるのですが、私の中ではまだ消化しきれていないことを当時体験しながらも、現在はシングルマザーとして子どもと一緒に、両親の助けを借りながらも何事も前向きに日々過ごしています。

長い文章を読んで頂き、ありがとうございました。
(つづく)

 

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