シングルマザーになって7年・今振り返る出産の記録と記憶-Ⅱ

「シングルマザーになって7年・今振り返る出産の記録と記憶-Ⅰ」の筆者です。

今回は続編である出産体験ストーリーを書いていきます。最後までお付き合いいただけるとありがたいです。

生まれつきの病気である「骨形成不全症」(こつけいせいふぜんしょう)は、骨が脆く折れやすい病気に加え、私の体がとても小さいため無事に妊娠を継続できるのか、出産できるのかという不安の中過ごした7ヶ月半。

お腹の中で過ごしたくれた赤ちゃんの出産日が決まり、後は帝王切開の手術を行う当日に向けて、心の準備をするだけとなりました。

出産に関しては、主治医を筆頭に初めて診察して下さった男性医師(産婦人科部長)、他の産婦人科医師、病棟の看護師さん達、新生児科医師、麻酔科医師、手術室スタッフ、ICU(集中治療室)スタッフ、NICU(新生児集中治療室)スタッフと多くの方々が連携して下さいました。

手術日は前日に決定

私の出産は全身麻酔の帝王切開と決まっており、出産も前日に決まったので、ある程度の覚悟はしていたのですが、その日の夜はなかなか眠れませんでした。

自分は無事に赤ちゃんを出産できるのだろうか?赤ちゃんが無事に生まれても、私は会うことができ、この手で抱くことができるのだろうか?赤ちゃんは何もなく生まれてきてくれるのだろうか?様々な不安が襲ってきましたが、「ここまで頑張ってきたのだから赤ちゃんは絶対に大丈夫!!」という変な確信もありました。

帝王切開当日

帝王切開の当日。その日は例年にない大雪で交通網は麻痺しており、都市高速や高速道路は通行止め。夫は前日から泊まってくれていたのでまだ良かったのですが、父は仕事だったので、母は親戚と一緒に車で下道を約1時間半かけて来てくれました。

朝から再度エコーで状態を見てもらい、繋がれていた張り止めの点滴が外されました。
手術は午後からとなっていたので、それまで手術の準備。家族と部屋で過ごし、手術室に移動するまで待ちました。

その間も赤ちゃんは元気に動いていて、出産すると同時にこの胎動も感じられなくなるんだなぁと思うと少し寂しさを覚えましたが、それと同じくこの子にもう少ししたら会えるんだという喜びがありました。とにかく無事に手術が終わり、母子共に病室に戻って来ることができるよう祈りました。

いよいよ手術室へ

そして、いよいよ呼ばれ、看護師さん全員に見送られて手術室へ向かいました。手術室までは、当日担当の看護師さんと主治医が付き添ってくれたので少し安心できました。

そして、前準備室から手術室へと行き、手術の準備が始まりました。両手が動かないよう固定され、どちらもルートを確保するとのことで静脈に点滴の針が刺されていました。

そして、麻酔のため口から管を入れられていたのですが、なかなか入らず…。苦しい上に一度それを抜かれ、今日出産できないんじゃないかと思うと涙が出てきました。すると看護師さんと主治医が「大丈夫よ。頑張って!」と励ましてくれるとホッとしました。

麻酔は何とかできたようで、無事に手術が開始され15時過ぎに出産しました。ICUに向かう途中、主治医から起こされ朦朧とする意識の中、主治医の顔と家族の顔が確認でき「無事に生まれたんだ。」と分かりました。

ICUで目覚めた翌朝

気が付いたのは翌朝。そこはもちろんICUの一室でした。看護師さんがいて、夫も側にいました。看護師さんから「どうですか?」と聞かれ、少し目が覚めました。

口にはまだ管が入っていて話すことができなかったのですが、私の状態を確認後すぐに抜管してもらえました。

看護師さんと夫に赤ちゃんのことを尋ねました。生まれた赤ちゃんは男の子。無事に生まれ状態も安定していると聞き、心からホッとできました。
夫は生まれてすぐに保育器に入れられ、NICUへと移動する赤ちゃんをカメラで写してくれていました。

初めてみる我が子。前日までは私のお腹の中にいたのに、今はいなという寂しさがありましたが、無事に生まれたことが何よりも嬉しかった。それと同時に、家族や病院のスタッフ、友人に感謝しました。

初めまして、私の小さな赤ちゃん

私自身は一晩ICUにいましたが、その後の経過は良かったので、出産翌日の午後には病棟へ戻ることができました。

しかしその日は息子と会えませんでした。

ようやく会えたね

息子との初対面は翌日。エコーで見た時は1,200g程あったのですが、実際はもっと小さく、身長35㎝、体重1,034gのベビーでした。

息子は何もかもが本当に小さくて、触ると壊れてしまうんじゃないかと思う程でした。保育器の中でオムツだけをし、うつ伏せで眠っている状態。そのオムツも小さく生まれた赤ちゃん用だそうですが、それでも息子には大きかったのです。

愛しの息子

息子はまだ自発呼吸ができないので、人工呼吸器が付けられていました。もちろんまだ抱くことはできませんでした。

他にも色々な管に繋がれていたのですが、小さいながらも「ママ、ぼく一生懸命に生きているんだよ!」と言っているようでした。その姿を見ると今までに感じたことがない感情が沸き上がり、「愛おしい」という言葉は子どものためにあるのかなと思えました。

そして、息子には「生まれて来てくれてありがとう。私を選んでくれてありがとう」と伝えました。

手足は細くとても小さかったのですが、手を消毒して保育器の中の息子を触ってみると温かくて、小さいけれど生命力を感じました。
息子の人工呼吸器が外れたのは、生まれて1週間後のことでした。

これから退院まで、無事に大きくなってくれるのか?など色々と心配しましたが、そこは新生児科の主治医とNICUのスタッフの皆さんを信じ、息子の成長を祈るしかありませんでした。

搾乳の毎日がスタート

母乳は、まだ自分では無理だったので、生まれた翌日から看護師さんが搾ってくれました。その日から、退院まで約3時間置きに看護師さんが来て母乳を搾る日々。

私の小さな体からでも、母乳がしっかりと作られていることが何よりも不思議で、思っていたよりも母乳の出も良く安心しました。

小さな体で頑張る息子

母乳は搾ってすぐに、同じ階にあるNICUの息子の元へ届けられていました。息子へは鼻から胃に通してある細い管から、注射器のようなもので母乳が送られていました。初めは1㏄からのスタート。それを1日8回に分けていたそうです。

面会に行っても抱くことはできず、母になったという実感があまりなく、保育器で眠っている息子の手や足を触る事しかできませんでした。それでも、退院までは毎日息子の元へ通い、「ママ来たよ。」と声を掛け、成長を祈りました。

自身の退院後

私自身の退院後は、搾って冷凍している母乳を持って、週に2~3日息子の待つNICUへと行きました。

保育器の中で一生懸命頑張っている小さな息子は、行く度に母乳を飲む量も少しずつ増えていき、その分体重も増えていきました。

少しだけ残念なのが、毎回ほぼ目を瞑り眠っていたことです。目を開けている顔を見たいのに見ることができないもどかしさ。だけど、そんな寝顔を見ていても愛おしく、早く抱っこしたいなと面会に行く度に思いました。

生後1カ月

その後も息子は順調に体重が増えていき、生まれた時は人工呼吸器が付けられていたのに1週間で取れ、生後1カ月ちょっとでようやく酸素マスクも取ってもらえました。

保育器にいたのは変わらずですが、徐々にその場所も移動していって、最後にはコットと呼ばれる、新生児が生まれた時に産婦人科で寝かせて貰っているベッドのようなものに移ることができました。

心配であった目の網膜

息子の入院中、一番心配だったのは目のことでした。というのも、小さく生まれた赤ちゃんの場合、内臓器だけでなく目の網膜の血管がしっかりできていないそう。生まれた週数にもよるのですが、ある程度大きくなると週2回眼科検診を受けていました。

もしこの網膜の血管が曲がって伸びたりすると、レーザー治療を受けなければいけないし、治療しなければ失明する可能性があると説明されていました。息子の場合、この確率が半々だったので、どうなるかなと毎週ドキドキしていましたが、心配した目も大丈夫だったので安心しました。

初めて息子を抱っこできた日

生後約2カ月のある日、面会に行くと息子の保育器はいつもと違う場所へと移動していました。

看護師さんから教えてもらって、中を見ると口にあったはずの授乳用の管も外され、肌着を着せてもらってなんだかいつもとは違う雰囲気。肌着を着て眠る息子はとても可愛かったです。

はじめての抱っこ

そして、看護師さんから「今日、哺乳瓶で授乳してみますか?」と嬉しい一言。ということは、抱っこできるという事。

ようやくこの手に我が子を抱ける喜び!いつなんだろうと面会に行く度に思い、かなり待ち遠しかったことがようやく実現しました。

看護師さんに抱き方を習い初めて抱く息子は、とっても小さかったけれど、温かくて優しい気持ちになることができ、無事に生まれてここまで育ってくれて良かったと思いました。

一生忘れられない日

この時点での体重は、約1,820g。肌で感じられる息子の温もりと、体重以上の命の重さ。
「この子をこれから守っていかなきゃ!」という強い気持ちと、ようやく母になれた気がして、初対面の時以上に嬉しかったのを今でも覚えています。

一生忘れられない、忘れてはいけない!そんな一日でした。

生まれて初めての授乳

次の面会で初授乳が決まっていたので、実際にどうなるのかなとドキドキしながらNICUへ向かうと、保育器を卒業していました。コットに寝ていた息子。

家族もようやく窓越しから息子を見ることができました。それまでは私と夫しか入室できず、家族はモニター越しに様子を見るしかありませんでした。

授乳は助産師さんの工夫で

授乳は車イスに座ったままだと難しいので、助産師さんが工夫して下さり、小児用ベッドを運んでくれていました。私はそれに座り助産師さん指導の元、初めての授乳をしました。

うまく母乳を飲むことができるのか心配でしたが、助産師さんからは「初めてにしては上手に飲めたね。」とお褒めの言葉を貰えて感激。この日は初めてオムツ替えもでき、とっても嬉しい面会日でした。

それから退院までは直接授乳できるようになり、NICUだと狭いのもあって、陣痛室での授乳でした。なので、ここでうちの母とも対面することが可能に。ようやく元気な姿を見せることができ、嬉しかったです。

いよいよ退院

この授乳から約2週間後、息子は無事に退院できることになりました。
退院日は次の面会でどうなるか?というところで、退院前にMRIを撮らなければならず、その検査結果次第でした。

そして、面会日。主治医と話をし、MRIの結果も何事もなかったのでいつでも退院していいよとの言葉を頂けました。

すくすく育ちました

退院日は、出産した当初から予定日くらいが退院日になるよと言われていたので、本当にそのくらいになり、体重も約2,500gとなっていました。
退院日は家族の都合を聞いて、みんなで決めました。

退院当日は、嬉しいような寂しいような複雑な気持ちになりました。

さいごに

私の人生の中で一度、あるかないかと思っていた私の妊娠と出産。
無事に出産できたのは、きっとこの病院だったからです。そして、ここのスタッフの皆さんだったからだと思っています。

妊娠発覚から出産、退院まで期間にすれば短いのですが、かなり密度の濃い時間を過ごすことができました。

この数か月間お世話になったこの病院のスタッフには、7年経った今でも感謝してもしきれません。本当に本当に、ありがとうございました。お世話になりました。

そして、Ⅰ、Ⅱと読んで下さった読者の方々にも。長い体験談を読んで頂き、ありがとうございました。
 
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