障がい児を育てるシングルマザーになった時-「発達障害」編-

私は日本人、沖縄在住者であり、男女二人の子どもを持つシングルマザー。元夫は米軍人でした。
我が家は家族全員それぞれが「発達障害」と診断を受けています。

元夫-ASD(※1)、私はADHD(※2)、娘-ADHD、息子-ASD。
娘がアメリカンスクールへ通い始めた時の担任教師とスクールカウンセラーから精神科への受診命令を受けました。

子どもの発達障害を知った時

アメリカでは教育機関に児童養護の権限があるので、親は指導を受けると必ずその通りにしなくてはいけません。拒否すれば児童虐待とみなされ、子どもは当局に保護され、許可が下りるまで子どもと離別させられます。

当時アメリカ人の医師とのコミュニケーションに自信のなかった私は、学校側に許可を得て娘を近所の心療内科へ連れて行きました。そこで受けた診断がADHDでした。

※1.Autism Spectrum Disorder- アスペルガー症候群。総称は自閉症スペクトラム
※2.Attention Deficit Hyperactivity Disorder-注意欠陥多動性障害。現在は注意欠陥多動性症

発達障害の治療を受け始めた時

娘は3歳頃から活発で、人見知りもなくとても元気な子でした。時に元気過ぎて周りから「もっと躾なさい!」とのお叱りを受けることもありましたが、私も幼少の頃は同じく活発で自分の意思をはっきりと言う子どもだったので、さほど気にしてはしていませんでした。

担任のひとことで編入を決意

ところが日本の小学校に入学するや、担任から「この子は言うことを聞かない。アメリカンスクールに入れるのだから転校すべき」と言われ、元々日本の教育機関が嫌いだった私は娘の編入を決めました。

娘を病院で連れて行った結果

「元気過ぎて手がかかる」その程度にとらえていた私ですが、念のため病院に連れて行き、そこで受けた診察結果は前出の通り。

当然ながら診察結果にショックを受けましたが「この子だけを治療しても親が変わらなくては良くなるはずがない」と思い、娘と共に私自身一緒に受診をすることを決意しました。

しかし診断を不快に思った夫は、「俺も発達障害と言われたが自力でノーマルになれた。子どもを甘やかすからこうなる。厳しく躾ればいい、障害なんて嘘だ」と言ってペアレント・トレーニングさえ受けてはくれませんでした。

診断を機に家庭が崩壊した時

ADHDの診断を受けてから、夫の態度は露骨になっていきました。

結婚当初から短気で、怒ると大きな声で怒鳴り物を投げたり壊したりと、DV的な態度を見せていたのですが、娘の治療に専念し家事が疎かになったり、心労から持病が悪化したりする私に対しての不満が頂点に達したのか、夫は以前にも増して暴言を吐いたり、子ども達を手を挙げて叩いたりすることが日常的となっていきました。

娘のひとことが切っ掛けに

それでも希望を捨てずファミリー・カウンセリングを受けるなど、出来る限りの手を尽くして改善を図りましたが理解を得ることはありませんでした。「離婚」の文字は毎日頭に浮かびましたが、自身の持病を考えると一人で子ども達を育てる勇気がありません。


そんなある日娘が泣き腫らした目で私を見つめ「お願い、パパと別れて。私達を助けて」と告げてきた時、実家の母に背中を押してもらいながらやっと離婚することができました。

障がい児を育てるシングルマザーになった時

娘の中学入学と同時に実家の近くに引っ越した私達は、これまでとは別の心療内科を受診することになりましたが、幸運にも発達障害を専門に診ていらっしゃる現在の主治医と出会いました。

初めての診察で私自身がADHDであることが判明し、おとなしかった息子もテストの結果ASDとの診断を受けました。

私自身が壊れてしまう前に

子ども達の通う学校へ理解を求めたり、思春期で不登校の子ども達のメンタルをサポートする中で、私は心身ともに疲れ果て睡眠障害と持病が悪化し、大量の投薬治療を受け精神状態が日に日に悪くなり、日中も意識が朦朧としていました。そんな時の娘の訴えでした。

母親の一押しが支えに

心配して来てくれていた母が「私が支援するから、もうこんな生活止めよう」と言葉をくれて、訳も分からぬまま夫が仕事に行っている隙に子ども達を連れて逃げ出しました。

病気療養中だったこともあり、文字通り逃げた時は無一文。そこから生活保護・児童福祉手当・特別児童福祉手当・障害基礎年金を頼りに親子3人、母子家庭の生活が始まりました。

障がいを抱えてシングルマザーとして生きる今

離婚して数年、今私達はやっと心穏やかにそれぞれの人生と向き合い、生まれ持った「発達障害」という特性を理解して、この社会の中で生きていくための術を身に着けようと、日々努力し協力し合う良い関係を築いています。

もしもあの時離婚していなければ、今こうしてお互いを尊重し合い、社会性を伸ばしながら生きてはいなかったと思います。

さいごに

発達障害と向き合うには受容する心と、寄り添い信頼する姿勢がなければ、親も子も共倒れになってしまうでしょう。

私達は夫であり、子どもたちの父親である存在からの理解と受容を受けることが出来なかったけれど、私自身、孤独の中で発達障害と向き合う必要は無かったのだと、今は障害についても理解をしています。

少しの勇気と周りの理解ある人達への信頼、頼ることを自分に許す覚悟があれば、独り親であってもしっかりと子育てしていけるのだと確信しています。

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