シングルマザーとなった養母から、産みの親以上の愛で送る娘への手紙

当時お付き合いをしていたあなたのお父さんが、2歳になったばかりのあなたと、まだオムツをしていたひとつ下の妹を二人に会わせてくれました。

それがあなた達との最初の出会いでした。

私は初婚、当時の夫は子連れ再婚でした

当時、お義母さん(私)はまだ若く24歳。かわいいあなた達と、すぐに仲良くなり毎日が楽しかった。保育士を目指した時もあったお義母さんは、大の子ども好きで、あなた達を我が子のように育てるのは全然苦ではなかった。

けれどそれもつかの間、結婚をしてお父さんが家にお金を一切いれてくれず、それでもあなた達と離れる事ができなかったお義母さんは、昼も夜も働き、気が付くと、7年くらいの年月が経ちましたね。けれど、とうとうお父さんの職もなくなり先が見えなくなったため、離婚を決意しました。

その後の人生は思いがけない「まさかの道」へ行くことに・・・。

子育てを安易に考えてしまった私にはいくつもの壁が

お父さんと離婚をして離れたのに、お義母さんを実の母親だと信じて疑わないあなた達は、ランドセルを背負ってお義母さんのところまで30分かけて歩いて来てしまった。

どんなに説得しても帰ってくれず、最後には号泣。そこでお義母さんの意地と踏ん張りが始まりました。

男性気質のお義母さんは、シングルマザーとしてあなた達を育てようと決めました。
周りに恵まれ本当にたくさんの人に助けられ昼も夜も働き続けてきました。夜は夜間保育園や、お友達に預け、その代わり毎週日曜日はこどもの日であなた達との大切な時間。

制度が邪魔をする「母」になりきれない「義理母親」

あなた達が高熱を出し、病院に連れて行くと、あなた達の出生時の事を記入しなければならないけれど、それがまったくわからない。

手続き事で役所に行き、続柄に「母」と記入すると、訂正され「代理」と書かされる。
実母でないうえに、養子縁組もしていなかった。当然、児童扶養手当の受給なし。
国からの援助を一切受給出来ず、泣く暇もなく日々の時間が足りないくらい、意地と踏ん張りのダブルワークで育ててきました。

あなた達の母と言えない、世の中の厳しさに絶えられなくなり、お義母さんも「お母さん」という壁が高く一人で抱え込めなくなりそうになり途中挫折。

この時蘇ってきたのが、子連れとの結婚を「子は宝・財産だ」と言い賛成してくれた私の両親。「あの時賛成さえしてくれなければもしかしたら、私はこんな大変な思いをしなくて済んだのでは?!」と、両親を恨んでしまった事も。

それでも信頼し合えた私たち

シングルマザーとしてダブルワークで頑張るお義母さんを、子どもながらに「大変」だと感じていたあなたは、色々と協力してくれたね。
そんなあなただったから、お義母さんはいつもあなたを信じていましたよ。

中学生の時にちょっとした問題を起こし、生徒指導に呼び出され、あなたは「やってないと」ただ友達とは仲間だから一緒にいたと。

お義母さんはそれを信じて、あなたを守る為に先生と戦いました。
そんな中、思春期や反抗期も穏やかに過ぎ去り振り返ると、長い長い道のりでした。

事実を知ってしまった瞬間

そんなあなたはもう20歳。

物心つく前から一緒にいたお義母さんをずっと、「産みの母でないと疑うこともなく」育ってきてくれたのに、あなたが事実を知る日は突然やってきました。

20歳の誕生日迎える前に、自動車学校の提出に必要な住民票を取得しに役所に行き、けれど住民票と間違えて戸籍謄本取得。その謄本に記載されていた母の欄には、お義母さんではない人の名前が。

私が知らない場所で聞かされた事実

子どもながらに、「戸籍謄本の母の名前が間違っています」と役所の方へ申し出たために、役所の担当者から「その件については専門の相談所でお話します」と言われ、その場所で「お義母さんが産みの母親でない」という事実を聞かされて知ってしまった。 

泣き虫のあなたは、お義母さんが産みの親ではないという事実を知ってしまった瞬間に、泣きながら電話してくれたね。声を震わせながらあなたは「お母さん本当のお母さんじゃないの?」と。

精一杯伝えた言葉

あなたの一言で、これまでのシングルマザーとしての苦労が蘇り、涙が溢れ出してしまいました。私の事を産みの母親でないという事実を知ってしまった以上、子どもたちに産みの母親、実母に会ってほしいと願い「本当のお母さん探しなさい、他にも兄弟いるから」と伝えた言葉。

これで「あなた達がお義母さんの元に戻らなくても後悔しない」と、一生懸命自分に言い聞かせていました。

育てた時間が本当の事実であると思う

しばらくして連絡をくれたあなたは、「今は産みの親は探さない、会いたくないから。それよりも、何故お義母さんは産んでもないのにここまで苦労して、昼も夜も働き続け大学まで行かせてくれたの?」の問いに、「大好きな英語を勉強してほしいから」としか答えられませんでした。

あなたが「これからもお義母さんって呼んでもいい?」と言ってくれた言葉には、お義母さんは言葉にして返す事が出来ないほどの想いが一気に溢れ出てきました。

思い出が走馬灯のように

「あなたのお義母さんは、私で良かったのかな?」いろいろな想いと思い出が交差する中、揺るぎない事実は、あなた達はちゃんと大人になってくれていたということ。

そして、あなたが一人の女性の立場で、お義母さんのことを考えてくれたことがとても嬉しかった。

私の事を気に掛ける子ども達

次女が大学推薦合格した時、あなたが言ってくれた言葉。
「お父さんのところに戻るから、お義母さん自分の幸せ見つけてほしい。遅くなってしまってごめんなさい。」と。

きっと、これ以上の大学費用などを考えた結果だったのでしょう。
確かに私も、40代になり、ダブルワークなど体にはかなりの限界がきていましたが、まさかこのような結末になるとは、想像すらしていませんでした。

こんな日が来るとは思わなかった

20歳になり、父親の元に戻って行ったその日、お義母さんたくさん泣いたよ。離れたくなかった。ただひとつ「幸せになる事だけ」お願い約束してほしい。

戻った以上、あなたの結婚式にも参加できない。
あなた達の子どもを抱けるかどうか分からないけれど、楽しみに夢を抱いておきます。

あなた達でよかった

今思えば、長い道のりは大変だったけれど、娘として同じ女性として、これからもあなた達の味方であり続け、これからも応援させてほしい。

あなた達との18年間、お義母さんは、ふたりに出逢えたことに、すごく感謝しています。ひとりで育ててきたことも後悔はしていません。これからの、あなた達の幸せを一番に願っているのはお義母さんだから。今までそばにいてくれて感謝です。ありがとう。

「離れても家族は家族だから、いつでも遊びに来なさい」
お義母さんの実家ではいつでも皆が待っているから。

私の母親も肩の荷が下りたようで

複雑ですがこれが私の現実です。これからは、たくさん迷惑をかけてきた私の母に恩返ししなければいけません。私が子どもたちと離れて半年後、82歳の母親は、末期がんが発覚しました。現在闘病中であり、頑張って病気と戦い、自宅での寝たきり介護生活中。病気の事も気づいていたのだろうけれど、我慢していたのだと思います。私が子どもたちを手放す事で母親も肩の荷がおり、自分の病気と向き合うことができたのだろうと。

母には、これから私の幸せを見てもらうことで、親孝行していかなければならない。
私の手から離れた娘二人を、本当の孫のように想い、闘病中のベッドの上から孫たちと電話で話しているその姿を見ると、言葉に詰まります。

さいごに

今年で44歳の私、長く長く感じた人生だけれど、娘達がいてくれたから今の私が存在しています。

現在の私は新たなスタートで、日々幸せを感じながら生活しています。



◎関連記事:シグマル沖縄ライターによる沖縄県の記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)