「幸せのカタチ」は自ら選択できる時代!シングルマザー再婚狂騒曲!

シングルマザーになり「もう一度結婚(再婚)したい」と思う人と、「もう結婚は必要ない」と、思う人がいると思います。あなたはどちらですか?

私は前者です。しかし、現在長年共にしているパートナーとは未だ再婚には至っておりません。

そして、ここに来るまで私は「再婚」や「結婚」というものを自分なりに色々考えてきました。今回は「再婚狂騒曲」と題して私の心の変化を書いてみようと思います。

あなたにとって「結婚」とはなんですか?

再婚。私は離婚をする前からすでに「夫と別れて、もっと素敵な人と再婚して、幸せに生きる」と思っていました。

私にとって、結婚や夫婦、家庭、家族というものが憧れでもあり「幸せの象徴」なのかもしれません。もちろん、現在のパートナーとは初めから再婚を前提にお付き合いを始めました。

いつが再婚に適したタイミング?

私たちも再婚に進む転機は何度もありました。

ましてや私には娘がいますから、彼女の心や体の成長に合わせて、家族という共同生活を育んでいくことを望んでいます。

転勤族であるパートナーは、3、4年ごとに配属先が変わるため、「その度に子どもを転校させるのか」とか、「思春期になった娘とパートナーとの関係はどうなっていくのか」と、交際期間を重ねるたびに頭でばかり考えながら、再婚には「タイミング」があるのだと、言い聞かせていました。

そして、「今だ!」というタイミングに、私からの「ほぼ逆プロポーズ」で、交際4年目に一度目の婚約。

シングルマザーは一人の人として見てもらえない?

しかし、その婚約も彼の家族からの大反対があり、やむなく白紙に。

この出来事は、私が唯一「シングルマザーだから」ということで辛いと思わされるものでした。人にもよるのでしょうが、シングルマザーというだけで、一人の人として見てもらえない、会ってもらえない、認めてもらえない。自分の存在を否定された辛いものでした。

それでも、私は彼との別の人生を選ぶことはありませんでした。しかし、そこから私の「再婚への執着」が強くなっていたのだと思います。

自分を決めているのは周りではなく、自分自身

ひとそれぞれ、再婚や結婚に望むものって違うと思います。

そして、再婚した自分、再婚しない自分、再婚できない自分という様々な自分がいて、そこに色々な感情や意味を付けているような気がするのです。

私は、「再婚をしたいのにしてもらえない自分」を勝手に色々な感情と意味をくっつけて、自分で悩み苦しんでいったのでした。

可哀想でみじめな私を選びたかった

私にとって彼と再婚が出来ない、家族に結婚を反対されているということは「可哀想な私」であり「みじめな私」でした。

直接誰かに言われたわけでもありませんが、話す人関わる人はみんな私を「可哀想だ、みじめだと思っているはず」と決めつけ、それを払しょくしたい、だから早く夫婦になりたい。

「それにはもっと愛されなきゃ、愛されれば彼は親の反対を押し切ってでも結婚をしてくれるはず」と思っていたあの頃。それが「愛され女子奮闘記」の想いに繋がっていくのでした。

「再婚できなくて可哀想」「パートナーの家族に認められなくてみじめ」と思っているのはほかでもない自分自身であり、なのに周りからどう見られるかが怖くて仕方がなかったのです。

あなたの人生の真ん中に誰がいますか?

私は周りから観て「幸せ」で在りたかった。それが自分の「幸せ」だと思っていたから。

そして彼もきっと同じで、家族が思う幸せが自分の幸せと同じだと思っていた。「でも、それって違うんだな」と思えるようになったのは本当に最近のこと。

自分の人生の中心に自分を置いていない時、人は「幸せだと思えない」のかもしれない。

どうしても周りに目を向けてしまって、誰かと比べて、誰かの評価を気にしてしまいがちなのだけど、そんな自分に気づいて少しずつ自分を真ん中に連れて行ってあげると、見える景色が変わってしまうのだと思います。

再婚をすることと幸せであることは別のこと

自分を真ん中に持ってきて見えた景色は、ただただ私にとって彼が大切な存在であるということそれだけでした。

そこには従来の結婚制度や夫婦というものだけで証明される「愛の証」ではなく、共に生きることだけで得られる「愛の証」。私の身近にいないだけで、きっと世界にはたくさんのそういう「愛の証」としてのパートナーシップが存在しているのでしょう。

再婚をしないと決めたわけでもありません。再婚したい思いも変わりません。しかし、その形になっていなくても、今のままで私が幸せであればそれでいいと思えるようになりました。

今は、以前は出来なかった結婚生活や、夫婦生活に憧れ、想像してはワクワクする。そんな時間を楽しめるようになりました。

さいごに

記事を執筆しながら思い出したことですが、私にとって愛されている証は「指輪」なのです。

私の両親は結婚指輪がなく、幼心に「他の子の親はしているのにしていない両親は仲が悪いのか?」と思ったくらい、指輪は愛の証という思いが強くあります。

私は未だに彼から指輪をもらったことがありません。それも、「愛されていない証」にしていたと気づきが得られました。あなたがもし再婚したいという気持ちがく、それによって悩みがあるのであれば、どうしてそう思うのかを自分に問いかけてみたら、その奥の気持ちに気づけるかもしれません。

ABOUTこの記事をかいた人

徳村寛子

神奈川県在住、シングル歴8年目。マヤ暦を使ってセラピストをしています。趣味は映画鑑賞。中でもSFとファンタジーが大好き。ライフワークは、シングルマザーの恋愛応援。自分を愛して、愛される人生を体現しています。やっぱり笑顔が一番素敵!がモットー。

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