ひたすら、真面目に生きてきた夫婦。
53歳にして、今こんなに幸せを感じられる夫婦。今回は、現在53歳男性、52歳女性の夫婦です。
二人の子どもに恵まれ、現在長男24歳、長女22歳。たくさんの苦労を乗り越え、とても幸せを感じている二人の夫婦と、その家族のお話をさせて頂きます。
夫23歳、妻22歳で結婚をして晴れて夫婦となりました。結婚する時点で、交際8年の二人。たくさんの人に祝福され、披露宴を行い熱々のスタートとなりました。
待ちに待った立派な男の子
結婚して、五年目でやっと恵まれた子宝。
たくさんの人に支えられ、二年後には女の子も生まれました。
子どもが生まれてから沖縄での生活は、生半端ではなかった夫婦
沖縄の平均賃金の低さは、皆さんもご存じの通り。
今から23年前は、今以上に更に低かったのです。当時の、アルバイト時給相場が450円くらいでした。
どんなに働いても、賃貸アパートを借りて夫婦二人、子ども二人いての生活が出来ません。
当時、夫の仕事が土木作業員。雨が続くと、お休みになります。日当制の場合、お天気で左右され休日が増えると、大変な生活になります。
上の子ども長男が小学校6年にあがるころ
生活に限界がきて、夫は掛け持ちで夜は運転代行のお仕事。妻は、近所のスーパーにて正社員で働いていました。
スーパーの店員、福利厚生費用を差し引くと、当時手取りは8万円前後。子どもたちは、日々成長していく。
夫婦二人で話し合い、何度もお互いの実家へ別居も考えていました。
しかし、別居をするのは簡単なこと。子ども達と家族の絆が、切れてしまわないかが不安でたまらず考えました。
子ども達を夜実家に預けて、妻も夜は週3回居酒屋でアルバイト。夫婦の睡眠時間は、わずか3時間という生活が7年の月日がたっていたそうです。
夫婦で協力し、家にいる時間が少ない為、愚痴る事無く「ただ日々が過ぎていくだけ・・・」
その為、喧嘩にすらならなかったそうです。
子ども達は、成長につれ出費は増す一方
晩御飯もかなりの節約でした。
長男が高校生の頃。昼食はお弁当を持参させていたましたが、中身が質素なため、周りと比べるようになり大変だったそうです。
成長とともに、節約の幅が制限されつつあり、家族の絆の為に踏ん張る事だけで一生懸命。
高校から専門学校へ進学を決めた息子に、行くなと言えず更なる2年延長戦。夫婦二人で、ダブルワークをひたすら頑張る毎日。
子ども達には、我慢をしてもらうだけ
当時は、中学生から携帯電話も持っている時代でありながら、子どもたちには持たせられず。たくさんの我慢をさせていたので、子どもたちの方からも、そんなにわがままは言ってきませんでした。
しかし、逆にそれはそれで、親としてはかなり辛かったそうです。
アパートの隣の子は、なんでも持っている。その隣から、匂う夕飯時が全てお肉のにおいに感じたそうです。
夫婦は、何度も後悔した。もっと、勉強しておけば良かった。もっと「計画的に生活をしていれば、妻に苦労をかけなくてすんだのに」と夫は思いました。
それでもこの夫婦は、一度も離婚を考えた事がなかった
目の前の事に一生懸命で、どう生き延びるかを考える事だけ。
妻の脳裏には「離婚をしても生活は何も変わらない、子どもたちは二人の元に生まれて来てくれた」
確かに、結婚5年目で出来た長男なのですが、妊娠6カ月に逆子で出血がありました。
その為、妊娠6カ月から出産まで4ヶ月入院して出産。妻にとっては、産まれて来た時に、涙ながらに「ありがとう」とでた言葉。
その思いは、今24歳になる息子へ日々感謝しているようです。
この夫婦に、この子たちあり・・・
息子さんは、24歳で地元企業に就職し3年目。娘さんも22歳。高卒で就職し4年目で、県外企業ではあるが、沖縄在中で就職。
二人とも、現在は親の苦労を誰よりも分かっているから、毎月ちゃんとお給料から生活費を、入れてくれるそうです。
今回、記事を執筆するに向けて息子さんにインタビューを
私が息子さんに聞きました。
開口一番
「うちの親は、あの二人しかいません」親が苦労をして来ているのも、記憶に残っています。
「僕は、大好きな野球も12年間させてもらいました。野球が出来たから、現在の仲間に巡り会えたし、今でも草野球ができ仲間がいる。すごく感謝はしていますが、まだまだ両親を甘やかしはしません。そそっかしい両親、まだまだ若いと言い張るので、頑張ってもらいますよ。」
そんな事を言いながらも、父の日、母の日、両親の誕生日は必ず家族4人で集まるそうです。息子さんが現在手掛けていることは、自分たちの土地に家を建てる事。
先祖から、残してくれた土地。
「親が、働けるうちに建てないと僕が苦労しますから」と言いながらも、2DKの狭いアパートから両親にマイホームをと考えているようです。
車好きな父親に、大きな車庫と倉庫も作ってあげたいと・・・。今は、喧嘩する余裕もある両親ですよ。
苦労を重ねさせた息子なのに
子どもたちは立派な大人になり、周りからはすごく羨ましがられているそうです。常に親の心配をして、息子さんは母親に専業主婦になるよう勧め「この家は俺が支えると・・・」
夫も息子に負けずと、息子が学校を卒業したと同時に、大好きな大型バス、路線バスの
運転手になりました。
そこから真面目に生きていたお陰なのか、住んでいる市から採用があり、市営バスの運転手へと切り替える事にしました。
妻は言いました
この年齢になって、こんな幸せに感謝できる日が訪れることを、想像すらしていなかったそうです。
過去の写真も数枚しかなく、思い出も記憶だけに封印されているそうです。
「でも、仕方ないですよ。私たちの人生ですから、これからたくさん思い出を残します。写真も、若くはないですけどたくさん残します」と笑顔でした。
苦労があったから、今でも狭いアパートに子ども達と川の字に眠れる。今は、大きくなった子どもたちと川の字に寝る事が幸せに感じています。
夫婦のプチ贅沢
私が、ライブハウスへ遊びに行った時です。妻の誕生日と言う事で、夫婦で来ていました。
すごく幸せそうで、苦労を二人で乗り越えた夫婦だからこそ今の幸せが訪れたことがふたりの表情からうかがうことができました。
さいごに
この記事を執筆させていただくことで、夫婦の大切さ、それぞれの生き方をあらためて考える時間を持つことができました。
人それぞれの人生ですが、こちらの夫婦、幸せは人生後半型。スタートで結果が見えない分、焦り結論を求めてしまう事が多いけれど、全盛期でクタクタになりながらも、夫婦で守り続けた家族愛。
ひとりひとりが、今を支えあう。今回、本当の家族の在り方が、見えたような気がしました。
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