携帯の着信音が鳴って見てみると、久しく会っていなかった友人女性からのコールでした。
「元気にしている? 今話しできる?」元気そうな、でも、少し怒りに近い興奮した様子の声に聞くと、結婚して10年が経ち「やっと離婚に向け本格的に動いている」と言っている友人。
彼女と最後に会ったのは数か月前、出会った頃から夫婦の関係が崩壊していると話していたのを思い出しました。
当に頑張りやの彼女は、家庭や子育てはもちろん、周りの人間関係さえも一人で引き受けてしまう、そんな女性です。
だから皆から慕われています。
電話越しでは、ゆっくりと彼女の話が聞けないと思い、後日会うことにしました。
問題は結婚当初からあった
結婚前、彼女は後に夫となる“彼”と、つかず離れずの関係でした。
当時の彼女は家族を亡くし、その責任を感じて気持ちのやり場がなかったのかも知れません。
そんな時に妊娠して暫くは生む覚悟ができなかったと話してくれました。
でも、二人は結婚を選びました。
結婚当初から、彼女の夫=“彼”はいつも心を閉ざしていて「何を考えているか分からない人」だったそうです。
自分からは何も語らず、それでいて『なぜ理解しない?!』と時に激昂する“彼”に「お金の話も相談も何もできなかったから、子どものことは全部自分でやってきた」と語る彼女からは、幼少期の頃から「家族を支えるのが私の役目」との重い十字架を、その華奢な肩に背負ってきた生き様がはっきりと分かります。
「やっぱり子どもの為には両親そろっていた方が良いに決まっているし」だからずっと、彼女は自分を押し殺し、“彼”に頼ることをせずに生きてきて、二人目の子どもも授かり、更に頑張って生きてきました。
コミュニケーションが図れない
【性格の不一致】とはよく聞く言葉です。
ほとんどの離婚原因に挙げられるでしょう。
彼女は折に触れ、何度も“彼”とのコミュニケーションを図ろうと努力しました。
でも、言葉を持たない(心を開かない)相手と、どう向き合えば良いのでしょう。
会話が続かなくなると暴言を吐き、高圧的に責めてくる夫の心を開くにはどうすれば良いのでしょう。
一般的にみた話ですが、恋人同士の時は、少なくとも会話をしていたであろうふたりが、家族になると、どうしてこんなに「言わずして、察してくれ」とばかりに暗黙の了解を要求してしまうのでしょうか。
普段から生活費を提供する夫ではなかったので、子どもにあてられる児童手当なども彼女が使い込んでいると思っていたようです。
彼女は夫にお金の相談も出来ずに、仕事と子育てを一人でやってきているのに、“彼”は子育てと仕事、そして家事の両立の苦労を理解しようともせず、彼女が日々忙しくしている様子に関心も示しませんでした。
それでいて、“彼”不在の諸々の決断に対しては、DV的態度で彼女を責めてきたのです。
限界になった理由は・・・
一年ほど前に“彼”は閉じこもった殻の中から、ぽつりと言ったそうです。
「長くは生きられないかもしれない」「だから子ども達にお金を残すために貯金している」と。
『それ以上は何も言わない夫とそれ以上追及できない妻』そんな夫婦になってしまった関係は、もう修復のしようがないのかも知れません。
彼女はこれまで、どんなことにも耐えてきました。
争いを好まない彼女は、自分が耐えることで乗り越えられるのならば、どんなことにも耐える人です。
でも、『長くは生きられないかもしれない』と告げる“彼”との関係に意味を見出せなくなりました。
「病気ならば一緒に闘いたい」との思いは、“彼”には伝わらなかったからです。
子どもを連れて家を出る
頑なに病名を告げようとしない“彼”に、これまで耐えて積み重なった思いが、ついに爆発したのでしょう、彼女は子どもを連れて家を出ました。
“彼”は今になってようやく、見て見ぬふりをしてきた代償が何であるのかを、目の当たりにしたのです。
そしてようやく病名を明かしましたが、完治も見込める誰もが知る病気でした。彼女は、そんなことも伝えられない“彼”との夫婦関係に、呆れ果ててしまいました。
精神的な自立に向けて
彼女はこれまで、金銭的なものや子育てへの協力を得ることなく、事実上シングルマザーのような生活を10年も過ごしてきました。
そんな彼女が「これまでも自立していたとは思う。
でも、どこかでいつか分かり合えるんじゃないか。
父親として自覚してくれるのではないかと、期待していたんだよね。
だから、気持ち的にはある意味依存していたかもしれない。
家族っていう枠に。」
家族という枠
そう、彼女は気付いたのです。
私達はどこかで【家族】という枠にしがみ付いていることに。
私もそうでした。
家族でいることで、どこか安心を得ていた頃がありました。
例えそれが、日々自分という人間を崩壊させていたとしても【一緒にいる、その事実だけで自分は社会的にきちんと役目を果たしている】そんな妄想に取り付かれていたのです。
「私、結局一緒に暮らしていても何の意味も持たないなら、離婚という形で精神的にも自立したいんだよね」元々、自立心旺盛で楽しいことが大好きな、彼女らしい決断だと思いました。
苦楽を共にできない家族関係は?
離婚と聞くと、世間では「自己責任」というふうに扱われ、ネガティブな印象を受けがちですが、筆者自身も離婚を体験して、分かったことがあります。
【家族とは苦楽を共にする、何にも代えがたい故郷】そう信じていました。
しかし、苦楽を共にできない関係はどうなのでしょう。毎日自分が死んでいくような感覚で、どうやって子ども達を幸せにできるのでしょう。
幸せは自分自身でつくるもの
婚姻とは単に法律上世帯を確定してあらゆる手続きを容易にできるシステムだと、筆者は認識しています。
それを利用することで家族みんなが幸せになれば、それは素晴らしいことです。
でももし、笑顔が消えてしまうのなら、立ち止まって考えたいと思うのです。
『今の私、心から幸せ?』 なぜなら私達の生きる世界は、私達自身の幸せが根本にあってこそ、成り立ってゆくものだからです。
さいごに
結婚とは決して束縛するものではないし、結婚も離婚も選択肢に過ぎないのだと筆者は気付きました。
今もしも、結婚生活に幸せを見出せないでいるのなら、自分に聞いてみてはどうでしょうか。
『今の私、心から幸せ?』
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