シグマル

ワンピースの架け橋

ショップ

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作者:森内 ゆい

小2になったばかりの一人娘を登校させて、8時半には店に出勤、10時には店を開ける、仮にも店長としての始動から四日目を迎えました。

起業した、開業した、と知人や友人にメールやLINEで触れ回ったものの、彼女たちの反応は薄く、自転車で2分の一坪ショップに訪ねてきてくれたのは、まだ前の職場で面倒をみてくれた同じシングルマザーの先輩だけです。
彼女もたぶん、自分が面倒を見てきたのにうまくいかずに退職したわたしに対してなんらかの責任を感じたからでしょう。

開店二日目の午後、子ども服のリサイクルショップである我が店舗を見て
「可愛くていいね」
と言いつつ
「バリエーションは増やしたほうがいいよ」
とアドバイスをしていってくれました。

バリエーションの意味まではわからなかったけど聞きそびれました。

教えてもくれませんでしたし先輩はあまり差し出がましく口を出す性格ではなく、こちらが教えてほしいと質問しなければ指示をしないというタイプでした。

けれどこちらが指示を仰げば指導はしっかりしてくれる人でした。

そのチャンスを逃したかなと思いましたが、既に同じ職場にあらず、でありコンサル担当者を頼るしかありません。

前の借主が壁を汚したうえ破損したという理由で、そのままでいいならと破格で借りることができた一坪ブースとはいえ、元夫と義両親からの慰謝料を、開業運転資金としてはあまり無駄に使いたくはなかったので、リサイクルショップは、手元にある物を使うことから始めました。

実家からハンガーラックをもらって、商品はいずれフリマにでも出すつもりだった娘のお古を100均のハンガーに吊り、それをやはり実家から借りた車で運び込みました。


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双方の親が競争してブランド物を買い与えてくれたおかげで非常識な数を誇り、ほとんどを処分せずに置いてあった子ども服は、離婚して実家に戻るときに一番かさばる大量の荷物となっていて、受け入れてくれた親たちを悩ませましたが、思わぬ戦力となりました。

わたしの休憩時間も必要で、バイトをひとり最低時給で募集したところ、高校を出てのらくらしているという20歳の女の子が来ました。

わたしに対して愛想が良くないことは気になったけれど、余計なことは言わず言われたことには従って黙ってショップに立っている子でした。

休憩時間には、ぶらりと出て行って近くの立ち食いそばの店で一番安いかけうどんを食べてくるらしく、帰りにはペットボトル飲料を一本みやげにくれるので、派手な子でも悪い子でもありません。

そのビルの一坪ショップブースは小規模とはいえ集中レジなので、レジやラッピングはないのですが、販売の基本業務である体を使う動作全てがマイペースでゆっくりとしていて、未経験を克服する気はないのかな、という苛立ちを自宅で母にぶつけてしまいます。

結婚前に一年ほどとはいえ、ショップのバイトをしていた身としては、おとうさんの仕事の事務作業を少し手つだっていただけで販売未経験という彼女を入れるのはかなり迷いました。

けれど、面接には他の応募者がふたりだけでした。

デパガをやめて10年、優しい笑顔が印象的ですが白髪交じりで還暦近いおばさんと、ひとつのバイトを一ヶ月以上続いたことがない口のきき方も知らない30半ばの男性が来ただけで、時給800円での募集では、最初のバイト採用については妥協するしかありませんでした。

二人は保留で履歴書をまだ返送せず返事をしないまま、一番若いけれど無表情な由香里ちゃんを消去法で入れたのでした。

試用期間は2週間と最初に同意をもらいました。


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娘は学童保育からあぶれ、実家での留守番が退屈で嫌だと学校が終わるとランドセルを背負ったままで店に来ます。
「これ、あたしの服ばっかり!
おじいちゃんやおばあちゃんに買ってもらったのに、全部売るの?
あ!それ、5歳の誕生日にパパにもらったワンピースだよ!
絶対だめ!」
と、初日にそれを手にしていたお客さんの前で大声で言ってしまい、必死で制止してお客さんに謝罪しましたが、白けた様子のお客さんはブランドのワンピースを放り出して帰ってしまいました。

おしゃべりすぎる娘に店には来ないようにと言いましたが、ちょうど近所で子どもに声をかける不審者情報が多く出始めた頃と重なり、どうしても実家では退屈だという娘が学童保育にも友だちの家にもいられない以上は店に置いておくしかなくなりました。

ただ、あのようなことはお店をするのにあまりに非常識な発言であるし、
「ママは生活するのに必要なお金を稼ぐのにお仕事を始めたんだから、もう小さくなった服を売るのは仕方ないんだから。
愛美だって買ってほしいものたくさんあるでしょ?
それにはママがお仕事するしかないの」
とトイレに娘を引きずっていって言い聞かせて半泣きの娘をなだめ、半ば可哀そうな気持ちになりました。

問題のワンピースは、元夫から誕生日にもらったシックな1点もののワンピースで、わたしには不倫をした元夫の権化のようなものでしたが娘にはお気に入りの服だったのです。

結局それだけは売ることも娘の言いなりに家に持って帰ることもできず、宙ぶらりんな気持ちのままショップの片隅に箱に入れて片付けておくことにしました。

娘は
「バイトのおねえちゃんの由香里ちゃんが大好きだからお店好き」
と言ってもいるので、それが学校から店に直行する大きい理由でもあったのでしょう。

元夫の実家には由香里ちゃんと同じくらいの姪がいて、娘はその姪にとても懐いていたのですが、由香里ちゃんはあまり喋らない性格も地味で質素な服装も似ていることもあり、娘は懐かしかったのかもしれません。

由香里ちゃんは商品の整頓は丁寧にする子で、お客さんが来るとちゃんと姿勢を正して立っている子ですが、お客さんが帰ると乱された古い子ども服をまた黙々と丁寧に整頓します。

娘は、その間中由香里ちゃんにまとわりついていて年の離れた姉に妹が懐いているようでもあり、由香里ちゃんは特に愛想よく相手をする様子はないのですが、店長であるわたしの目を気にせず甘やかすことなく適当にあしらっていました。

子ども服古着の店にそれを着ていた子どもがいる光景、それはそれでいいかもとほほえましく思い、放置しておくことにしました。


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お客さんは特に多くも少なくもありません。

初日と二日目は開店した子ども服のリサイクルショップとしてお客さんが入れ代わり立ち代わり入ってくれましたが、売れたというのかどうか手ごたえはなく、お客の入りも三日目と四日目は途絶えました。

他のブース同様、曜日と時間に左右されるという感じなのでしょうか。

バイトを入れる必要もなかったかな、と由香里ちゃんの時給800円を惜しむ気持ちで計算し始めていました。

昔はリサイクルではなく、ノーブランドの子ども服を売っているお店で販売職に就いていました。

わたしは売ることが下手で、それは商品知識をなかなか身に着けられないということが理由でしたが、結局同じ路線を選んだのは娘を育ててサイズやシーズンごとの着せ方などを経験で覚えたからというのがありました。

手先は不器用ではなくレジやラッピングは得意でしたが、お客さんに商品の何を訊かれてもいつまでも答えられず、販売ではなく仕事そのものに向かないと思って落ち込んでしまったのが離職の理由でした。

短大時代からつき合っていた夫と同棲を始めて一年で結婚退職、25才で生まれた娘が小学校に上がる前に一回り上の夫の酔った勢いでの軽い不倫が原因で離婚となり、娘はわたしが引き取ることになりました。

戻った実家には妹夫婦とその娘、まだ2歳の姪が同居しています。

祖父母であるわたしの両親の愛情と興味は娘よりもややその姪に向けられているため、姪が生まれるまではそれを一身に受けていた娘は、それも居場所のない原因として実家にいる時間を少なくしようとしているのだと不憫に感じていました。

仲が良い妹と人の好いその夫に対しても、少し気を回してほしいという苛立ちが日々募り始めました。

四日目が終わるその日、由香里ちゃんには試用期間の二週間を予告して適当な理由をつけてと思い、丁寧に掃除をしている彼女にそれとなく話を持ちかけました。
「わかりました」
と、由香里ちゃんは表情も口調も特に変化なく言って、
「じゃあ、いつ辞めればいいですか。
お役に立てなかったなら早いほうがいいですか」
と言いました。

もったいないから今日にでも、と思ったのを見透かされたような気がして言葉を探していると、
「今日で終わったほうがいいなら、これ渡しておいたほうがいいですね」
と由香里ちゃんは、二人の私物入れを開錠してバッグを出し、B5サイズのモノクロチラシを一枚出しました。
「全然宣伝してないから試しに作ってみたんですけど。
加納さん嫌なことはすぐ表情に出るから、余計なことする、とかまた思われそうで昨日から出しにくくて」
それは、このショップの開店を知らせるかわいらしいデザインのチラシでした。

パソコンで作ったもののようです。

わたしがお客ならすぐにでも足を運んでみたくなるようなコピーとイラストの、ごくシンプルだけれどはっと目を惹く可愛いチラシで、わたしはしばらくそれを手にため息をついて見とれていました。

由香里ちゃんのバッグはいつも大きいと思っていたけれど、やや小ぶりなノートパソコンが見え隠れしています。

「チラシがOK出たらこのパソコンここに置いといてSNSとかも作ろうと思ってたんですけど、チラシだけでも使ってもらえたら嬉しいです。
高校のときの友だちに声かけてるんでOKもらえたら、明日の午前中に子どもの多い地域に500枚全部配れるように準備してます。
嫌ならやめますし」
たった二日で客足が激減した現実や由香里ちゃんの前向きな思惑やらが頭の中でぐるぐると渦巻き、しばらく黙ったままでいたわたしは、
「そういうの考えてくれてたのに、なんで言ってくれなかったの?」
と小声で訊きました。

一坪ショップブースフロアなので、新規開店があればビルのほうでエントランスに案内を出してくれるのですが、自分で周囲に宣伝することは考えていませんでした。

大きな有名ショッピングビルではないので、SNSなどもあるかどうか知らなかったのですが、パソコンが苦手でスマホしか触らないわたしは、そういうことを考えなければならないとしてもできなかったでしょう。
「バイトだし余計なことだし。
さっき言ったとおり加納さん嫌なこと顔に出るんです。
それお客さんの前でも出てます。
辞めさせられるから言うみたいでずるいですけど、違うからそう受け止めないでほしいんですよ。
あたしがそのことでお客さんに嫌味言われたし、これからお店のためにならないから言ったほうがいいなって。
今日の午後に、店長さん若いからだろうけどすぐ嫌な顔するよね、気分悪いから言っといてって言われたんですよ。
言わなきゃいけないのかなって今日ずっと考えてて、でもやっぱりそういうことって言いにくくて今日半日もやもやしてたんです。
でもお客さんに言われたことは無責任になるから、やっぱり」
それは、わたしが身内や友人知人からいつも指摘されていたことでした。

嫌だと思うと態度には出ないけどすぐ顔に出るね、と言われたし、娘は、
「ママがまた怒ったー」
と突然泣きます。
「怒ってないよ」
となだめても、
「顔見たら分かる!ムッとしてる!」
と泣きます。

由香里ちゃんの前でも、あろうことかお客さんの前でも、その癖はまったく抜けていなかったのです。

わたしは由香里ちゃんに「ごめんね」と謝り、それだけ人を見る目があって仕事ができる人を辞めさせるわけにいかないからこのまま続けてほしい、と言いました。

わたしにはごく普通に、事務的な能力のある補佐が必要だったのです。

由香里ちゃんは、販売の手作業はまだ全然慣れていないけれど、事務仕事や人間関係を見る能力はわたしより何倍も人生経験を積んだような子だったのです。


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仕事中のことを振り返ってみると、お客さんが来たときの由香里ちゃんは必ず掃除や整頓の手を止めて姿勢を正して、
「いらっしゃいませ」
と丁寧に応じます。

そして、そのお客さんがどれだけ荒っぽく服を散らかしてハンガーから落として何も買わず帰ろうともすらりとした背筋のままでホテルウーマンのように頭を下げ、
「ありがとうございました。またお待ちしております」
と、完璧な接客態度だったのでした。

できないのは手作業のみ。

それも、ゆっくりと丁寧なだけでイライラしやすいわたしが勝手に「遅い、トロい」と腹を立てて顔に出していただけで、由香里ちゃんへの不満や苦情は耳に入ってきません。

ところが逆はあったのだというのですから辞めてもらったらかなりの損失です。

一方通行以外なんでもない行動を取ろうとしていたのでした。

機嫌を悪くしてつっぱねるだろうと思った由香里ちゃんは、
「それは助かりますけど…あたしのこと嫌いなのに、いいんですか?」
と訊きました。チクリとした皮肉でした。

トロいからバイト代の問題だけとは言いづらく、
「お客さんがすごく減ってお店の存続が最初から不安になったから。
いきなりつぶれたら申し訳ないと思っただけ。
このチラシで挽回できると思うしね。
由香里ちゃんにこれからこういう相談に乗ってもらうね」
とぎこちない笑顔で言いました。
ばれてはいると思います。

机でスマホを触っていた娘が、
「仕事遅いし愛想悪い由香里ちゃんじゃもったいないって、家で文句言ってた話?」
と、わたしが実家で母に昨日言ったことをぽろりと悪気なく口にしました。

わたしは慌てて制止しましたが、由香里ちゃんは、
「もったいなかったらいつでも辞めますから言ってくださいね」
と表情を変えずに言いながら、
「このチラシ、明日一日で友だち総動員して配らせます」
サンプルの一枚を置いて大きなバッグを持ち、
「それと、今は愛美ちゃんのお古で始めたけどこの先仕入れはどうするんですか?」
と訊いてきました。
「コンサルの人に相談中。
適当に送りますって、
さっき電話かかってきたけど…なんで?」
「男の子の服一枚もないこと、初日から気になってたんです。
それもさっきお客さんに言われて。
女の子の服専門店って分かってたらわざわざ来ないって。
スタートでそれでコケてるんだと思います。
この辺団地とかファミリーのマンションとかあるし、保育所があるでしょう?
男の子連れのお客さんが来るたび愛美ちゃんの服だらけの店内見て、すぐ引き返してるのも気付いてませんでした?」
普通に考えれば当たり前に気付くことを、わたしはまったく気づいていませんでした。

そしてお客さんはみんな、嫌な顔をする店長であるわたしに言わずに丁寧な態度で立っている若いバイトの由香里ちゃんに苦情を言っていくのだと初めて知りました。
「…まずい。コンサルの人に電話でも女の子の服ばっかり注文した…」
「じゃあチラシはこっちで」
と由香里ちゃんは、もう一枚の似て非なるチラシをバッグから出しました。

男女子ども服買い取りします、の項目が加えられている別デザインでした。

買い取り値段を3段階に分けること、それ以下の0なら引き取るけれど値段はつかないことが買い取り条件として書かれていました。
「ずいぶん詳しいけど何かこういうのやってたの?」
「父の仕事が似たようなものです。
父といっても母の再婚相手で、あたしが高校に入るときに父親になったんです。
ぶらぶらしてたときに査定の手伝いもしてますし事務手続きもしてます。」
「…なんか複雑だね。おかあさんシングルマザーさんだったんだ」
「死別です。ほんとの父の顔は写真でしか知りません。」
「じゃ、チラシは一応こっちの買い取りしますのほう配っていいですか?」
リサイクル品のほうを組み入れたチラシを目の前に掲げる由香里ちゃんに
「うん、お願い」
と言うと、由香里ちゃんは定時を30分オーバーしたことを、残業分とかいりませんから、と気にしつつ店を出ていきました。
「明日も由香里ちゃん来るよね?」
娘がわたしに訊きます。
「ちゃんと来るよ」
「よかったー。家にいてもつまんないもん。」
「由香里ちゃんと遊んでるほうがいい」
娘は、甘やかしてくれる祖父母が自分の幼い従妹を可愛がっていることを不満に思っています。

これを両親と妹と話し合わなければなりません。

娘は両親の初孫なのですから。
「由香里ちゃんは愛美と遊んでるんじゃなくてお仕事してるんだから、邪魔しちゃだめだよ」
明日の準備を終え、コンサル業務担当の人に電話をして由香里ちゃんとのやり取りを話し、明日の仕入れ内容を調整しました。

全く頭になかった男の子の服を急きょ午後から仕入れることにしました。

男の子の服に関してはコーディネイトのイメージも浮かんでこないので、これから勉強が必要になることを気を引き締めなければなりません。


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娘は姪と仲が悪いわけではなく、家に帰るとそれなりに遊んでいます。

ただ、
「遊んであげてるだけ」
とドヤ顔をしながらも姪のおもちゃに夢中になり、あまり年齢差を感じないあたりは2年生にしてはかなり幼いところがあります。
「で?おねえちゃんは何が不満なの?」
妹が玄米茶を二人分テーブルに置いて苦笑しながら、
「あたしたち親子三人に、ここから出てけとか?」
と言いました。

妹夫婦は今のところ経済力があるのですから、本来実家に同居しなければならない理由は最終的にはないのです。

わたしは出ていくことはできないから、娘がひがんだりみじめな思いをしないよう配慮してほしい、と言いました。
「配慮って何?
あたしたちは愛美ちゃん可愛いし大好きだし、うちのチビと同じように大事にしてるよね?
計算で二割増しぐらい気を遣えっての?」
妹は軽く抱えた頭を振り、わたしを真正面から見据えて、笑顔ではあるもののしっかりと話をする表情になりました。

そして、
「おねえちゃん、シングルマザーって相当偉いとか勘違いしてない?」
と言いました。
「何それ。そんなこと思ってないよ」
ムッとして答えると、妹は、
「あたしの友だちもひとりシングルマザー。
うちと同じで2歳の女の子のおかあさんでね。
DVのダンナから裁判で逃げたの。
こんな話するもんじゃないと思ってたけどね」
と切り出しました。

確かに、友だちの多い妹のそういうダークな話を聞いたことはありません。

妹はそもそも誰かの個人的なことを陰でも漏らさない性格です。
「離婚したのは去年だけど、生まれた赤ちゃんの声がうるさいって彼女に暴力振るい始めてさ。
それが娘さんにもエスカレートし始めて、我慢すべきじゃないって決めての離婚だよ。
実家に帰ったけどすぐ経理経験活かしてパート見つけて…
子どもがいるから実家にも会社にも迷惑かけるけど、恩返しするって頑張ってるよ」
「そうなんだ…すごいね…資格持ってる人はラッキーだな…」
「資格とか経験も本人の頑張りでしょ?
おねえちゃん、離婚とかシングルマザーとかその上での仕事とか、ふわふわゆるーく考えてない?
仕事に向かないから同棲結婚に逃げたんでしょ?
お義兄さん、たった一回泥酔での不倫も土下座で謝ったし、いいパパでいい旦那さんだったのになんで別れたの?
結婚にも向かなかったから逃げたんでしょ?
仕事嫌だったのに、なんでまた起業とか考えたの?
慰謝料もらって生活費入れずに実家で一年間楽して、それも居心地悪くなったから働いてみよう、でしょ?
起業の理由は?
失敗したら簡単に言い訳作って辞められるようにレンタルショップの店長選んだんでしょ?
雇われて指示されるのも嫌な性格だし」
ゆっくりした口調は、全てわたしの逃避を言い当てていました。
「それに、あたしは理由なく実家に居座ってるんじゃないよ?
ちゃんと生活費入れて貯金もして、親が動けなくなったら介護をする覚悟をしてるしそれを放り出す気はないよ。
ねえ、親は衰えていつか死ぬんだよ?
母子で住むところが必要なら、親を背負う覚悟が必要なの。
出ていけないなら協力して一緒にここで暮らせばいいじゃん。
おとうさんとおかあさんの老後の面倒はしっかり看る覚悟でね。
それが恩返しだよ」

世間には、わたしより利口な人がたくさんいる。

それぐらい理解してはいたのですが、たくさんいるのではなくわたし以外はほとんど利口というのでは
と感じつつあるような…


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考えた末、わたしは手元にある履歴書のコピーを隅々まで見据えて携帯を手に取りました。
「夜分に申し訳ありません…」
由香里ちゃんの口調を真似て、そして応対してくれた携帯の持ち主と同じようにできるだけ丁寧な声を出しました。

翌日からやってきてくれた、面接を受けた一人の、元デパガのおばさんは、白髪を綺麗に染めてきて、
「谷浦です、よろしくお願いします」
と、お地蔵様みたいな笑顔で挨拶をしてくれました。
「朝からうちにも可愛いチラシが入ってましたよ」
と嬉しそうに笑い、ノートパソコンに向かっている由香里ちゃんに、
「あなたがお作りになられたんですか?」
と訊きました。
「自営の手伝いですが事務系しか経験がないもので、このぐらいしか能がありませんが、よろしくお願いいたします」
と由香里ちゃんも丁寧です。

言葉遣いの段階で、わたしは既にこの二人に劣っています。

チラシ効果でいつもとは違う顔ぶれのお客が入り始め、古着を持ち込む人もいます。

古着の買い取りは由香里ちゃんと谷浦さんにまかせました。

由香里ちゃんはおとうさんの仕事を見ている経験上の事務で、谷浦さんはアパレル勤務の経験上で、それらを素早くこなしてくれます。

もしかして一番戦力にならず、作り笑いを顔に貼り付けて
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました」
を繰り返しているのはわたしだけでは?

仕入れと売り上げは次第に伸び、1ヶ月を過ぎるころには収支のバランスは大きくプラスに転じました。

三人では忙しすぎるほどで、由香里ちゃんと谷浦さんが日時に融通が利く人材であったことが助かりました。

二人ともシフトはこちらの都合に合わせて入ってくれましたし、わたしが娘の学校行事の日には谷浦さんがより優れた店長代理のようなものでした。

初夏を迎えるころでもあり、谷浦さんには、
「愛美ちゃんをそろそろご実家に置いておくことを考えられたほうがいいと思いますよ。」
「お店にたくさん子どもさんが来られるでしょう。」
「お互い病気を移し合うことを考えなきゃいけないシーズンがきますからね」
と言われました。

デパガの前には総合病院小児科の看護師さんだったそうで事情でデパガに転身したそうですが、夏に流行る病気のことだけではなくてもそれは確かに考えなければならないことでした。

娘は風邪などまったくといっていいほど縁がない健康な子でしたから、突発的に店を休むことは今のところなく、参観日にシフトを調整してもらって谷浦さんを店長と思って店を任せたのでした。

店は不定休で週一回の休みを設けていましたが、学校行事に合わせて店を急に休みにするわけにはいかないからです。

由香里ちゃんはFacebookページやブログ、ホームページを作ってくれていて効果が上がり、近場だけだったお客さん層はエリアが広がってきました。

わたしは実はあまり何もせず、最初のバイト代を二人に払っただけではないかという気になり、あちこちに相談して二人に雇用保険と労災保険をかけることにしました。

本来なら時間としては、健康保険や厚生年金も加入できるほどの時間を働いてくれているのですが、これはまだ三人しかいない個人ショップでもあり、二人も自分の属性として自分でかけていられるから強いて必要ないというので甘えています。

年齢的に谷浦さんという優れた店長代理が、いつまで勤めてくれるかというのも気にかかり始めました。

いつまでもお世話になりたいです、と笑顔で言ってくれるのですが。

それは由香里ちゃんも同じです。

おとうさんの仕事を継ぐための勉強でバイトをしているのだと一度言ったことがあります。

いずれは二人ともいなくなってしまいます。

二人に匹敵する戦力がまた入ってくれるかどうか。

いえ、育成しなければならないのです。

そんな風に考えていたある日曜のことでした。

ほどよい客入りの中、スマホでゲームをしていた娘を、店に入ってきた同い年ぐらいの女の子が見つけて
「あれ?愛美ちゃんじゃん」
と声をあげました。その子と一緒に入ってきた、この近くを園バスが通っている私立幼稚園の制服を着た女の子を連れた、わたしより少し年上らしい女性が、
「お友だち?」
と訊いています。
「別に。同じクラスってだけ」
と答えるその子に(嫌な言い方)と思いました。

けれどグループが違えば友だちとは言えないのは仕方がないしと思っていると、娘もその子から顔を背けています。
「これ、いくらでもいいですけど引き取ってもらえます?
高いのにあんまり着せてないから捨てるのもね」
そのおかあさんはにこりと笑って、ブランド子ども服メーカーの大きな紙袋をふたつ、小さなカウンターに乗せました。

由香里ちゃんと谷浦さんが丁寧に検品し、
「良い状態でお持ちいただいて誠にありがとうございます。
全てAランクでお引き取りさせていただけるお品でございます」
と谷浦さんが頭を下げてわたしに決済をさせ、買取用の手提げ金庫からお金を出して買い取りを済ませました。

そのとき、
「愛美ちゃんち、人のお古で食べてるってほんとだったんだね。
学校ではうちはお金持ちだよって威張ってるのに」
その子が娘のそばに来て忍び笑いしながら耳打ちするのが聞こえました。

え、と小さく声が出て頭がカッとなった途端、パン、と音がして娘はその子の頬を力いっぱい平手打ちして仁王立ちしていました。

そして、
「お古売りに来たそっちは何なの、みっともない
いらなきゃ捨てれば?
うちは服を大事にしたいから売ってんだよ?
服はね、着てもらいたいの。
お古なんて言い方する人はうちのお客さんじゃないよ」
と言い放ち、また椅子に座ってスマホの画面に向かいました。

他のお客さんが唖然としている中、娘はそれに気づいてまた立ちあがり、その人たちに向かって
「すみませんでした!」
と深く頭を下げました。それだけではなく
「お客様、申し訳ありません。大変失礼しました」
と打たれた頬を真っ赤にしているその子に向かって頭を下げました。

二つ折りになった顔は見えませんが、その目から涙がポタポタ流れて床に落ちました。

谷浦さんがその横に並び、その親子に向かって直角に頭を下げ、深くお詫びします。

由香里ちゃんもそれにならいました。

わたしは謝れませんでした。

谷浦さんに小声で促されましたができませんでした。

娘が捨てた意地やプライドを捨てることができませんでした。

けれど、その親子が強張った表情で店を出るときにすっと深呼吸をしました。

そして精いっぱいお辞儀をして
「またお待ちしております。本日は誠にありがとうございました」
と心を込めて声をかけ、その姿が見えなくなるまでショップの入り口で頭を下げ続けました。

涙など出すまいと前で重ねた手を握りしめました。


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「ママ、いつまであの仕事するの?」
店を閉めた帰宅途中に娘が訊きました。
「谷浦さんのおばちゃんや由香里ちゃんと、もっと違うお店したら?」
そのつまらなそうな顔を見て、最近娘とよく話していなかったことに気付きました。

学校の話をしてくる娘にも、アプリゲームを見せてくる娘にも、向き合っていませんでした。

学校でお金持ちだと威張っているとあの子が言っていたこと…

その娘の心に何があったのか、娘には友だちはいたのでしょうか。
「あたし、なんでパパに捨てられちゃったの?」
娘が小さな声で言いました。

胸がチクリとして、わたしは「ごめんね」と初めて本心から娘に詫びました。
「ママが、わがまま言ってパパと喧嘩しただけ。
パパは愛美を捨てたんじゃないよ。
今もいつも会いたいって言ってる。
会いに行っていいのよ。
……夏休みにお店少しお休みするからパパと旅行でも行こう。
ん、そうしよう。
後で電話しようよ。
三人でいっぱいお話しよう。
これから会いたいときには気軽にパパと会おうよ」
娘は、軽く繋いでいた手をぎゅっと握ってきました。

軽い気持ちで娘から大好きな父親を奪ってしまったことを初めて本気で悔いました。

元夫に会いたいという気持ちではなく、娘の父親に会いたいという気持ちが純粋にせり上がり、まだ先の夏休みが楽しみに思えました。
「あたし、明日由香里ちゃんと谷浦さんのおばちゃんにごあいさつする。
で、いつもは家でおばあちゃんと留守番しとく。
もうお仕事の邪魔しない。
だから、パパにもらったあのワンピースだけ持って帰っていい?」
わたしは、答える代わりに娘が強く握っている手を、自分からそっと強く握り返しました。

次の日、学校が終わって店に来た娘は
「今までお邪魔しましたー。
今日一日記念に一緒にいさせてくださーい。
明日から家でおとなしくしてます」
と、二人の谷浦さんと由香里ちゃんに頭を下げました。

由香里ちゃんは、
「お客さん殴りさえしなきゃ、いてもいいんじゃないのかな。
ママより礼儀正しいお詫びだったよ」
と軽く娘の頭をぽんぽん叩いて娘を笑わせてくれました。
谷浦さんも笑って同意してくれます。
平日なのでお客さんはまばらです。
「ママ、これ持って帰っていいんだよね」
娘は、どうしても売りたくないと初日にお客さんの前で騒いだワンピースを、使い物にならない紙袋に畳んで入れていました。

着られなくなったサイズでも、元夫の、つまり娘にとっては父親である人が、通販ではなく一点ものを探しに遠方まで買い求めにいってくれた服さえ売ろうとまでしなくてよかったのです。

売られていった服には娘の思い出が詰まっています。

それが買ってくれた次の子に引き継がれ、ボロボロになるまで着てもらえて良い思い出を作る手伝いになればと、この仕事を選んだことを少し嬉しく思うようになりました。

閉店近く、
ヨレヨレのTシャツとジーンズにリュック姿の、わたしと同じぐらいの女性が、5~6歳の女の子を連れて遠慮がちに店をのぞきました。
「あの…女の子の安いパンツ物あります?
フードついてないTシャツと。数がいるんです。
どんなでもいいから安いのを…」
と小声で言いました。
「ありますよ。この辺でいかがですか」
整頓の天才でどこに何があるかを把握している由香里ちゃんが、スムーズに一角にご案内しています。
「ママ、あたしスカートがいい」
と、その女の子が半泣きでおかあさんの手を引いています。
「ごめんね。スカートだめなんだ…」
そのおかあさんは、少しぎこちなく明るい調子で言って、その子の頭を軽く撫でます。
スカートを勧めようかと足を踏み出そうとすると、
谷浦さんがそっとわたしの腕を引いて小声で、
「向かいの団地の方なんですよ。
ほら、保育所はスカートやフード付きの服は駄目ですから」
「保育所?」
「お独りになったばかりの方ですから、それ以上は個人的なことは」
わたしと同じシングルマザーさんか、と苦笑してため息が洩れました。

まだ、この子には、自分が保育所に行く理由も、大好きなスカートをそこで履けない理由も分からないのでしょう。

たくさんのパンツ物を買わなければならない、そこに余分なスカートを買う余裕はないことも。

パパと一緒にいる!と泣いた娘を思い出しました。

染みだらけの、買取ではなくゼロ円引き取りしかできなかった安い服を大量に選んで、集中レジに持っていこうとするその人に、娘が
「すみません!」
と声をかけました。
「はい?」
疲れた様子のそのおかあさんは、それでも笑顔で娘に応えてくれました。

娘は、あのワンピースを入れた紙袋を手に取って少し考えていましたが、わたしにそれを差し出し、
「ママ、これあの子にあげて。
売るんじゃなくてあげて。
保育所に行かない日ならいいでしょ。」
あの子のママがお休みの日に一緒にお出かけできるから」
と小声で言いました。

わたしは少しの間言葉を失い、涙が溢れそうになりました。

軽い気持ちで店に置いていた娘は、ただ退屈して由香里ちゃんの邪魔をしているのではなくていろいろな母子を見ていたのです。

そして成長もしていました。

一点もののグレーのワンピース。

それはこれからの季節に合うちょっとした外出着で、娘の思い出の品でした。

今ではわたしにとっても。

けれどそれがこれから、もしもこの子の何かの支えになるのならと。
「これ、売り物ではありませんのでお持ちください」
わたしは、その紙袋をお客様に丁寧に差し出しました。
「娘が5歳の誕生日に与えたもので、お嬢さまとサイズは同じと存じますので、おかあさまのご都合のよろしい日に、着せて差し上げてくださいませ」
いつの間にか笑顔がこぼれました。

わたしも多くの人から助けられてきたのです。

この人の事情は知りませんが、知ることができて手をつなぐことができれば、とも思いました。

娘のワンピースは、こうして新しいお客様に譲られました。

その後、このお客様は常連客となって下さいましたが、娘さんがあのワンピースを着てくれていてそれがとてもよく似合っているのを見るのは喜ばしいことでした。

今日も出勤です。

自分が、自分を、と不満と主張だらけだった人生をどこかにふっ飛ばして。

注意
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません
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