「ママ、いつまであの仕事するの?」
店を閉めた帰宅途中に娘が訊きました。
「谷浦さんのおばちゃんや由香里ちゃんと、もっと違うお店したら?」
そのつまらなそうな顔を見て、最近娘とよく話していなかったことに気付きました。
学校の話をしてくる娘にも、アプリゲームを見せてくる娘にも、向き合っていませんでした。
学校でお金持ちだと威張っているとあの子が言っていたこと…
その娘の心に何があったのか、娘には友だちはいたのでしょうか。
「あたし、なんでパパに捨てられちゃったの?」
娘が小さな声で言いました。
胸がチクリとして、わたしは「ごめんね」と初めて本心から娘に詫びました。
「ママが、わがまま言ってパパと喧嘩しただけ。
パパは愛美を捨てたんじゃないよ。
今もいつも会いたいって言ってる。
会いに行っていいのよ。
……夏休みにお店少しお休みするからパパと旅行でも行こう。
ん、そうしよう。
後で電話しようよ。
三人でいっぱいお話しよう。
これから会いたいときには気軽にパパと会おうよ」
娘は、軽く繋いでいた手をぎゅっと握ってきました。
軽い気持ちで娘から大好きな父親を奪ってしまったことを初めて本気で悔いました。
元夫に会いたいという気持ちではなく、娘の父親に会いたいという気持ちが純粋にせり上がり、まだ先の夏休みが楽しみに思えました。
「あたし、明日由香里ちゃんと谷浦さんのおばちゃんにごあいさつする。
で、いつもは家でおばあちゃんと留守番しとく。
もうお仕事の邪魔しない。
だから、パパにもらったあのワンピースだけ持って帰っていい?」
わたしは、答える代わりに娘が強く握っている手を、自分からそっと強く握り返しました。
次の日、学校が終わって店に来た娘は
「今までお邪魔しましたー。
今日一日記念に一緒にいさせてくださーい。
明日から家でおとなしくしてます」
と、二人の谷浦さんと由香里ちゃんに頭を下げました。
由香里ちゃんは、
「お客さん殴りさえしなきゃ、いてもいいんじゃないのかな。
ママより礼儀正しいお詫びだったよ」
と軽く娘の頭をぽんぽん叩いて娘を笑わせてくれました。
谷浦さんも笑って同意してくれます。
平日なのでお客さんはまばらです。
「ママ、これ持って帰っていいんだよね」
娘は、どうしても売りたくないと初日にお客さんの前で騒いだワンピースを、使い物にならない紙袋に畳んで入れていました。
着られなくなったサイズでも、元夫の、つまり娘にとっては父親である人が、通販ではなく一点ものを探しに遠方まで買い求めにいってくれた服さえ売ろうとまでしなくてよかったのです。
売られていった服には娘の思い出が詰まっています。
それが買ってくれた次の子に引き継がれ、ボロボロになるまで着てもらえて良い思い出を作る手伝いになればと、この仕事を選んだことを少し嬉しく思うようになりました。
閉店近く、
ヨレヨレのTシャツとジーンズにリュック姿の、わたしと同じぐらいの女性が、5~6歳の女の子を連れて遠慮がちに店をのぞきました。
「あの…女の子の安いパンツ物あります?
フードついてないTシャツと。数がいるんです。
どんなでもいいから安いのを…」
と小声で言いました。
「ありますよ。この辺でいかがですか」
整頓の天才でどこに何があるかを把握している由香里ちゃんが、スムーズに一角にご案内しています。
「ママ、あたしスカートがいい」
と、その女の子が半泣きでおかあさんの手を引いています。
「ごめんね。スカートだめなんだ…」
そのおかあさんは、少しぎこちなく明るい調子で言って、その子の頭を軽く撫でます。
スカートを勧めようかと足を踏み出そうとすると、
谷浦さんがそっとわたしの腕を引いて小声で、
「向かいの団地の方なんですよ。
ほら、保育所はスカートやフード付きの服は駄目ですから」
「保育所?」
「お独りになったばかりの方ですから、それ以上は個人的なことは」
わたしと同じシングルマザーさんか、と苦笑してため息が洩れました。
まだ、この子には、自分が保育所に行く理由も、大好きなスカートをそこで履けない理由も分からないのでしょう。
たくさんのパンツ物を買わなければならない、そこに余分なスカートを買う余裕はないことも。
パパと一緒にいる!と泣いた娘を思い出しました。
染みだらけの、買取ではなくゼロ円引き取りしかできなかった安い服を大量に選んで、集中レジに持っていこうとするその人に、娘が
「すみません!」
と声をかけました。
「はい?」
疲れた様子のそのおかあさんは、それでも笑顔で娘に応えてくれました。
娘は、あのワンピースを入れた紙袋を手に取って少し考えていましたが、わたしにそれを差し出し、
「ママ、これあの子にあげて。
売るんじゃなくてあげて。
保育所に行かない日ならいいでしょ。」
あの子のママがお休みの日に一緒にお出かけできるから」
と小声で言いました。
わたしは少しの間言葉を失い、涙が溢れそうになりました。
軽い気持ちで店に置いていた娘は、ただ退屈して由香里ちゃんの邪魔をしているのではなくていろいろな母子を見ていたのです。
そして成長もしていました。
一点もののグレーのワンピース。
それはこれからの季節に合うちょっとした外出着で、娘の思い出の品でした。
今ではわたしにとっても。
けれどそれがこれから、もしもこの子の何かの支えになるのならと。
「これ、売り物ではありませんのでお持ちください」
わたしは、その紙袋をお客様に丁寧に差し出しました。
「娘が5歳の誕生日に与えたもので、お嬢さまとサイズは同じと存じますので、おかあさまのご都合のよろしい日に、着せて差し上げてくださいませ」
いつの間にか笑顔がこぼれました。
わたしも多くの人から助けられてきたのです。
この人の事情は知りませんが、知ることができて手をつなぐことができれば、とも思いました。
娘のワンピースは、こうして新しいお客様に譲られました。
その後、このお客様は常連客となって下さいましたが、娘さんがあのワンピースを着てくれていてそれがとてもよく似合っているのを見るのは喜ばしいことでした。
今日も出勤です。
自分が、自分を、と不満と主張だらけだった人生をどこかにふっ飛ばして。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません









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